日本歴史地名大系 「戸破村」の解説
戸破村
へわりむら
天正一一年(一五八三)八月佐々成政が発給した知行方目録(水越家文書)に「中郡へわつ村」とみえ、三千三〇七俵余の所が槻尾甚助に与えられている。慶長一〇年(一六〇五)前田利長は当村久助に市再興申付状(「小杉新町旧記書上申帳」松長家文書)を下付しているが、その文面に「中郡へわり村市事、如前々立候様ニ可申付候、市日の事も有来ことくたるへく候者也」とあるので、前田氏入部以前から当地には定期的な市が立っていたものとみられる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報