小沢武雄(読み)オザワ タケオ

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「小沢武雄」の解説

小沢 武雄
オザワ タケオ


肩書
貴院議員,日本赤十字社副社長

生年月日
弘化1年11月10日(1844年)

出生地
豊前国企救郡小倉(福岡県)

経歴
小倉藩士の家に生まれる。慶応2年長州再征の役では小倉軍の先鋒として戦い、小倉落城後は赤心隊別隊幹事として主戦堅持、長州藩との和議には随員として参加。明治元年戊辰戦争では東征軍に属し奥羽転戦、同年若松民政局に出仕、2年軍務官筆生に転じ、兵部省少録、権大録、大録を経て、4年兵部権少丞、陸軍少佐に任じ、10年の西南戦争では陸軍大佐として山県参軍の参謀を務めた。11年少将、18年中将に進み、士官学校長、参謀本部長を歴任貴族院議員となる。また西南戦争の際に博愛社を設立、のち日本赤十字社と改称して副社長として活躍、傍ら旧藩小倉の実業振興にも尽力した。

没年月日
大正15年1月29日

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

20世紀日本人名事典 「小沢武雄」の解説

小沢 武雄
オザワ タケオ

明治・大正期の陸軍中将,男爵 貴院議員;日本赤十字社副社長。



生年
天保15年11月10日(1844年)

没年
大正15(1926)年1月29日

出生地
豊前国企救郡小倉(福岡県)

経歴
小倉藩士の家に生まれる。慶応2年長州再征の役では小倉軍の先鋒として戦い、小倉落城後は赤心隊別隊幹事として主戦を堅持、長州藩との和議には随員として参加。明治元年戊辰戦争では東征軍に属し奥羽に転戦、同年若松民政局に出仕、2年軍務官筆生に転じ、兵部省少録、権大録、大録を経て、4年兵部権少丞、陸軍少佐に任じ、10年の西南戦争では陸軍大佐として山県参軍の参謀を務めた。11年少将、18年中将に進み、士官学校長、参謀本部長を歴任、貴族院議員となる。また西南戦争の際に博愛社を設立、のち日本赤十字社と改称して副社長として活躍、傍ら旧藩小倉の実業振興にも尽力した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「小沢武雄」の解説

小沢武雄 おざわ-たけお

1844-1926 明治時代軍人
天保(てんぽう)15年11月10日生まれ。もと豊前(ぶぜん)小倉藩(福岡県)藩士。明治4年陸軍にはいり,18年中将。陸軍士官学校長,参謀本部長などを歴任。23年貴族院議員となるが,翌年本会議場で舌禍事件をおこし軍職を免じられた。のち日本赤十字社副社長。大正15年1月29日死去。83歳。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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