小泉郷(読み)こいずみごう

日本歴史地名大系 「小泉郷」の解説

小泉郷
こいずみごう

富士上方ふじかみかたのうちの郷名。現在の小泉地区一帯に比定される。永仁六年(一二九八)二月一五日の年紀のある本門寺造立棟札銘写(北山本門寺蔵)に「合力小泉法華衆等」とあり、当地域に日蓮宗信者の集団が組織され、本門寺の建立に協力していた。その後地内に久遠くおん寺が建立されている。康永四年(一三四五)三月一〇日、富士浅間社(富士山本宮浅間大社)大宮司の富士直時は「富士郡上方」の上小泉郷半分ほかを弥一丸に譲与しており、当郷は上・下二郷に分れていたようで、富士浅間社の大宮司領があった(「富士直時譲状写」大宮司富士家文書)。天文一五年(一五四六)四月二二日、葛山氏元は小泉のうち吉野孫九郎分を弟吉野郷三郎に給与している(「葛山氏元判物」吉野文書)。永禄一二年(一五六九)二月二四日、武田信玄は佐野惣左衛門尉に大宮おおみや浅間社(富士山本宮浅間大社)宮司富士左衛門分(左衛門尉分か)であった小泉の一〇貫七二八文の地ほかを(「武田信玄判物写」佐野氏古文書写)、同年三月七日、佐野左京亮に清縫殿左衛門尉分であった小泉の一二貫文の地ほかを与え(「武田家朱印状」望月文書)、元亀元年(一五七〇)一二月四日には大宮城在城を賞して市川権右衛門尉に小泉のうち大宮浅間社神田分一〇貫文ほかを与えている(「武田家朱印状」市川文書)


小泉郷
こいずみごう

荒川右岸の現大里村小泉付近に比定される。嘉元四年(一三〇六)六月一二日の昭慶門院領目録(竹内文平氏旧蔵文書)室町院領の一つとしてみえる「武蔵大江小泉前藤大納言為世卿」は当郷のことであろう。元徳三年(一三三一)七月一二日に平時雄が作成した小泉郷田在家注文(長楽寺文書)によれば、「男衾郡小泉郷」内に大道を挟んで東に一六宇、西に一一宇の在家および二町六段の在家付田があり、その得分は一年に五四貫一〇〇文であった。同注文からは街道に沿って両側に在家が立並ぶ集落が形成されていた様子がうかがえるが、「風土記稿」は小泉村のうちに「古ノ鎌倉道ト云モノアリ」と記し、これが大道のこととみられる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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