小波村(読み)こなみむら

日本歴史地名大系 「小波村」の解説

小波村
こなみむら

[現在地名]淀江町小波

平岡ひらおか村の北西壺瓶つぼかめ山の南西麓に位置し、日本海にも面する。伯耆街道が通り、当地で日野往来が分岐する。小浪とも記された。村名は往古集落の下が海であったことにちなむとか、「雲浪」が転訛して小波となったなどといわれる(「三輪神社縁起書」三輪神社蔵)。天正一五、六年(一五八七、八八)頃の吉川広家領地付立(吉川家文書)に「三十五貫 小波」とみえる。会見あいみ郡に属し、藩政期の拝領高二七二石余、本免四ツ一歩。米子荒尾氏の給地(給人所付帳)。天保三年(一八三二)の山林反別は一反余、藪役銀一二匁五分が課されていた(藩史)幕末の六郡郷村生高竈付では生高五三五石余、竈数八一。「伯耆志」によれば林八町四反余、家数八五・人数三四三、産物は綿・木綿石高の増加が顕著なのは、宝暦(一七五一―六四)から砂浜の開発が盛んになったことによる。

文化三年(一八〇六)伊能忠敬一行が、当村の沿海測量を行った(「測量日記」伊能忠敬記念館蔵)。安政五年(一八五八)淀江から当地・佐陀さだまでの沿海防備の責任者に安養寺丹後が任命された(御目付日記)。文久三年(一八六三)当村から今村までの村々は、さかい役所(現境港市)管轄下であったが、遠く不便であるとの理由で淀江役所に変更された(在方諸事控)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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