小田部村(読み)こたべむら

日本歴史地名大系 「小田部村」の解説

小田部村
こたべむら

[現在地名]早良区小田部一―七丁目・小田部・有田ありた七丁目、西区福重ふくしげ一丁目・同四―五丁目・福重団地ふくしげだんち

しよう村の南西、室見むろみ(早良川)東岸にあり、西は福重村(現西区)。「和名抄」記載の早良郡田部たべ郷の遺称地とされる。文永八年(一二七一)四月二七日の飯盛宮社領坪付(青柳文書/鎌倉遺文一四)に小田部郷とみえ、同郷に一町、貞本名に命婦給田三段の飯盛いいもり(現西区)社領があった。いっぽう嘉元三年(一三〇五)七月日の沙弥行恵譲状(島津他家文書/鎌倉遺文 補遺編四)には「ちくせんの国こたへのすいてんハ、行恵かくんこうのち」とあって、子息彦太郎もりすみに譲与されており、蒙古合戦の恩賞地として薩摩国の御家人に与えられていた。文和三年(一三五四)一一月一五日小田部郷は重代の私領たるにより、本田兼阿(久兼)から嫡子金太郎に(「本田兼阿譲状」旧記雑録/南北朝遺文(九州編)三)、明徳三年(一三九二)一二月一三日には久兼の孫兼久から嫡子かなとう丸に譲られている(「本田兼久譲状」島津久厚所蔵文書/南北朝遺文(九州編)六)


小田部村
こだべむら

[現在地名]光町小田部

虫生むしよう村の東に位置する。中世は匝瑳南条そうさなんじよう庄に属したとみられ、在地領主としては千葉氏族の椎名氏が知られる。千葉大系図は福岡系椎名氏の一流に小田部氏を載せ、福岡胤業(胤成)の子息胤忠に小田部・柴崎(芝崎)と脚注している。平井台ひらいだいに小田部砦があり、土塁・空堀に囲まれた単郭方形の遺構が残る。寛文八年(一六六八)の鷹場五郷組合帳に村名がみえ、高一八〇石、芝崎組に属し、旗本宮城領。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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