日本歴史地名大系 「福重村」の解説 福重村ふくしげむら 長崎県:大村市福重村[現在地名]大村市福重町・皆同町(かいどうまち)・寿古町(すこまち)・草場町(くさばまち)・弥勒寺町(みろくじまち)・立福寺町(りふくじまち)・野田町(のだまち)・重井田町(しげいだまち)・今富町(いまとみまち)竹松(たけまつ)村の北西にあり、郡(こおり)川は佐奈川内(さながわち)川を合流して西部で内海に注ぐ。郡川下流の左岸に条里遺構がみられる。郡岳の中腹、重井田の坊の岩(ぼうのいわ)に和銅年間(七〇八―七一五)行基が太郎岳(たらだけ)権現を開創し、文明年間(一四六九―八七)多良岳に移したと伝える。古代の創建ともいう郡七山十坊の一つ東光(とうこう)寺の跡に正和五年(一三一六)銘の宝塔、応永二七年(一四二〇)銘・宝徳四年(一四五二)銘・文明一〇年(一四七八)銘などの宝篋印塔、天文一〇年(一五四一)銘の五輪塔がある。皆同には無量(むりよう)寺・済福(さいふく)寺があったとされ、また室町期の築城という今富城跡があり、享禄五年(一五三二)銘の五輪塔が残る。弥勒寺に如来形線刻石仏一二体・不動明王線刻石仏一体など、冷泉寺(れいせんじ)に大永七年(一五二七)銘・享禄五年銘の五輪塔があり、ほかに草場の教通(きようつう)寺跡など中世の寺坊跡が十数ヵ所みられ、立福寺(竜福寺)・如法寺(によほうじ)・大堂(おおどう)・地堂(じどう)・京の峰(きようのみね)などもこれに関連するものであろう。 福重村ふくしげむら 福岡県:福岡市西区福重村[現在地名]西区福重一―五丁目・福重団地(ふくしげだんち)・石丸(いしまる)一―二丁目・姪浜駅南(めいのはまえきみなみ)二―三丁目拾六町(じゆうろくちよう)村の東、室見(むろみ)川左岸にあり、北は石丸村・姪浜村、同川対岸は小田部(こたべ)村。早良(さわら)郡に属する。近世初頭には下山門(しもやまと)村など三ヵ村と一括され山門村と称したが、黒田長政入部後分村したとされる(続風土記)。当初は光行(みつゆき)村と称し、小早川時代の指出前之帳では上光行村は田三九町七反余(分米五〇六石余)・畠三町八反余(分大豆二八石余)、下光行村は田四〇町一反余(分米五二三石余)・畠五町四反余(分大豆三二石余)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by