小石川御殿跡(読み)こいしかわごてんあと

日本歴史地名大系 「小石川御殿跡」の解説

小石川御殿跡
こいしかわごてんあと

[現在地名]文京区白山三―四丁目など

白山台の南西部に設けられた四代将軍徳川家綱の弟綱吉(のちの五代将軍)の別邸。綱吉が上野館林藩主となると同藩の下屋敷となった。もと白山権現の社地に造営されたので白山はくさん御殿とも称され、小石川白山御殿ともいった。貞享元年(一六八四)邸内の一角薬園とされ、享保六年(一七二一)旧御殿用地の大半は小石川御薬園となった。慶安四年(一六五一)綱吉(幼名徳松)は将軍職を継いだ家綱から賄料一五万石と竹橋たけばし邸宅を与えられ、承応元年(一六五二)には別邸用地(小石川村のうちで高七四石余の地)が与えられた。別邸用地には白山権現(現白山神社)・氷川権現(氷川明神、現簸川神社)・女体権現(女体宮、現簸川神社境内末社)の三社が鎮座していたが、そのうちの一社、白山権現の縁起(白山神社縁起)によると、明暦元年(一六五五)御殿造営のため、北西の現在地に移転したといい、御殿が造営されたのはこの前後であったのかもしれない。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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