小禄間切(読み)うるくまぎり

日本歴史地名大系 「小禄間切」の解説

小禄間切
うるくまぎり

島尻方管轄の一四間切に加えて一七世紀後半に新設された間切。小禄おろく台地を占め、那覇港を挟んで北は那覇町・久米村くにんだ、北東はまん湖を間に真和志まーじ間切、南東豊見城とうみぐすく間切に接する。西は海に面し、慶良間けらま諸島が望見できる。ウルク(オロク)の称は烏魯古結制うるくうつち(正統三年一〇月「山南王併懐機文稿」歴代宝案第一集巻四三)の人物名で現れる。琉球国国相懐機の代理として暹羅国へ派遣された高官だが、人物は特定できない。次に現宜野湾ぎのわん嘉数の小禄かかずのおろく(県指定文化財)の墓内石厨子(石棺)に弘治七年(一四九四)六月吉日付で、「おろく大やくもい」との浮彫銘がある。「大やくもい」の役職名が確認される最古の史料で、また琉球最古の仮名表記とされる。この人物も不詳。続いて「おもろさうし」巻四の四三に「おろくよこたけ」と謡われている。この呼称は土地の名と解釈されているが「小禄」に比定されるか否か未詳。古琉球中頃からウルクの地名とその唱えは、琉球中山王府の諸制度のなかで定着しつつあったと推定される。嘉靖元年(一五二二)に首里から国場こくば川河口まで真玉まだま道が開通し、同川に真玉まだん橋が架けられた。同橋から西方の那覇港南岸の垣花かちぬはな(儀間村)は、いざという時の軍勢の集結地であった(「真珠湊碑文」県立博物館蔵)。同三二年には港を防衛するための屋良座森やらざむいグスクが設けられた(やらさもりくすくの碑文)正保国絵図によると、首里城から西に向かった島尻方西海道は渡地わたんじから那覇川(湊)を舟で渡って儀間じーま村に至る。

球陽」によれば小禄郡(間切)の設置は尚貞王五年(一六七三)で、真和志郡(間切)の三邑、豊見城(間切)の八邑を合して設置され、尚熙(金武王子朝興)・毛文祥(小禄親方盛聖)に与えられた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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