小西篤好(読み)こにし・あつよし

朝日日本歴史人物事典 「小西篤好」の解説

小西篤好

没年:天保8.2.22(1837.3.28)
生年:明和4.2.22(1767.3.21)
江戸後期の篤農家。摂津国嶋下郡佐保村馬場(茨木市)の庄屋の家に生まれ,通称藤右衛門。天明1(1781)年15歳のときから約10年間京師に遊学儒学,国学を学ぶ。帰郷して農業と村政に励むかたわら農書にしたしみ,各地の老農を尋ねて農業の知識を蓄積。60歳余のとき,それまでの経験と知識に基づいて『農業余話』の草稿を作成し,平田篤胤・篤真(銕胤)父子校訂を受けて文政11(1828)年刊行。この書は米,麦,棉,菜種,蔬菜,果樹などの栽培法,家畜飼育法などを論じ,農書として初めてイモチ病に言及。論理構成に特徴があり,陰陽五行説と雄穂雌穂説とに従って農業知識を体系づけている。彼の雄穂雌穂説は宮負定雄の『草木撰種録』など,以後の農書に強い影響を与えた。『農業余話』の出版は好評で篤農家としての名声も高まり,各地で農事を講じ,天保期(1830~44)には将軍家斉の賞詞を受けた。<参考文献>田中耕司「『農業余話』解題」(『日本農書全集』7巻)

(葉山禎作)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「小西篤好」の意味・わかりやすい解説

小西篤好
こにしあつよし
(1767―1837)

江戸後期の篤農家。摂津国島下(しましも)郡佐保村(大阪府茨木(いばらき)市)馬場に生まれる。通称は藤右衛門。15歳のとき京都に遊学して農業の学問的研究の必要を痛感、各地の老農を歴訪して経験を聞き、農事の実際的研究を行う。また佐保村庄屋(しょうや)として、村民救済勧農に努めた。1828年(文政11)作物栽培、家畜管理などに関する『農業余話』を出版。農学者としても知られ、筑後(ちくご)柳河(やながわ)、肥前平戸(ひらど)、丹後(たんご)宮津(みやづ)の諸藩から招かれて農事を講じた。天保(てんぽう)8年71歳で病没。茨木市の佐保川馬場大橋のほとりに記念碑がある。

[藤本 篤]

『『茨木市史』(1969・茨木市)』

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「小西篤好」の解説

小西篤好 こにし-あつよし

1767-1837 江戸時代後期の農事改良家。
明和4年2月22日生まれ。摂津島下郡(大阪府)の人。京都で国学などをまなび,各地で農法を研究。帰郷後,庄屋をつぐ。作物の品種改良などにつとめ,筑後(ちくご)(福岡県)柳河(やながわ)藩や丹後(京都府)宮津藩などにまねかれ,農法を講義した。天保(てんぽう)8年2月22日死去。71歳。通称は藤右衛門。号は藤斎。著作に「農業余話」など。

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367日誕生日大事典 「小西篤好」の解説

小西篤好 (こにしあつよし)

生年月日:1767年2月22日
江戸時代中期;後期の篤農家
1837年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の小西篤好の言及

【農業余話】より

…摂津国佐保村(現,大阪府茨木市)の小西篤好(あつよし)(1767‐1837)が著した農書。小西家は庄屋で,農事指導に熱心だったといわれる。…

※「小西篤好」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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