コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

小西篤好 こにし あつよし

3件 の用語解説(小西篤好の意味・用語解説を検索)

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

小西篤好 こにし-あつよし

1767-1837 江戸時代後期の農事改良家。
明和4年2月22日生まれ。摂津島下郡(大阪府)の人。京都で国学などをまなび,各地で農法を研究。帰郷後,庄屋をつぐ。作物の品種改良などにつとめ,筑後(ちくご)(福岡県)柳河(やながわ)藩や丹後(京都府)宮津藩などにまねかれ,農法を講義した。天保(てんぽう)8年2月22日死去。71歳。通称は藤右衛門。号は藤斎。著作に「農業余話」など。

出典|講談社 この辞書の凡例を見る
(C)Kodansha 2015.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

小西篤好

没年:天保8.2.22(1837.3.28)
生年:明和4.2.22(1767.3.21)
江戸後期の篤農家。摂津国嶋下郡佐保村馬場(茨木市)の庄屋の家に生まれ,通称藤右衛門。天明1(1781)年15歳のときから約10年間京師に遊学。儒学,国学を学ぶ。帰郷して農業と村政に励むかたわら農書にしたしみ,各地の老農を尋ねて農業の知識を蓄積。60歳余のとき,それまでの経験と知識に基づいて『農業余話』の草稿を作成し,平田篤胤・篤真(銕胤)父子の校訂を受けて文政11(1828)年刊行。この書は米,麦,棉,菜種,蔬菜,果樹などの栽培法,家畜飼育法などを論じ,農書として初めてイモチ病に言及。論理構成に特徴があり,陰陽五行説と雄穂雌穂説とに従って農業知識を体系づけている。彼の雄穂雌穂説は宮負定雄の『草木撰種録』など,以後の農書に強い影響を与えた。『農業余話』の出版は好評で篤農家としての名声も高まり,各地で農事を講じ,天保期(1830~44)には将軍家斉の賞詞を受けた。<参考文献>田中耕司「『農業余話』解題」(『日本農書全集』7巻)

(葉山禎作)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

小西篤好
こにしあつよし
(1767―1837)

江戸後期の篤農家。摂津国島下(しましも)郡佐保村(大阪府茨木(いばらき)市)馬場に生まれる。通称は藤右衛門。15歳のとき京都に遊学して農業の学問的研究の必要を痛感、各地の老農を歴訪して経験を聞き、農事の実際的研究を行う。また佐保村庄屋(しょうや)として、村民の救済や勧農に努めた。1828年(文政11)作物栽培、家畜管理などに関する『農業余話』を出版。農学者としても知られ、筑後(ちくご)柳河(やながわ)、肥前平戸(ひらど)、丹後(たんご)宮津(みやづ)の諸藩から招かれて農事を講じた。天保(てんぽう)8年71歳で病没。茨木市の佐保川馬場大橋のほとりに記念碑がある。[藤本 篤]
『『茨木市史』(1969・茨木市)』

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ) この辞書の凡例を見る
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの解説は執筆時点のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

世界大百科事典内の小西篤好の言及

【農業余話】より

…摂津国佐保村(現,大阪府茨木市)の小西篤好(あつよし)(1767‐1837)が著した農書。小西家は庄屋で,農事指導に熱心だったといわれる。…

※「小西篤好」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. 収録データは1998年10月に編集製作されたものです。それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。また、本文中の図・表・イラストはご提供しておりません。

小西篤好の関連キーワード馬場佐保佐保神佐保山篤農篤農家馬場末細木藤兵衛馬場金埒佐保穀我

今日のキーワード

ネコノミクス

猫が生み出す経済効果を指す造語。2012年に発足した安倍晋三内閣の経済政策「アベノミクス」にちなみ、経済が低迷する中でも猫に関連するビジネスが盛況で、大きな経済効果をもたらしていることを表現したもの。...

続きを読む

コトバンク for iPhone