小野寺直助(読み)オノデラ ナオスケ

20世紀日本人名事典 「小野寺直助」の解説

小野寺 直助
オノデラ ナオスケ

明治〜昭和期の内科医学者



生年
明治16(1883)年5月31日

没年
昭和43(1968)年11月3日

出生地
岩手

学歴〔年〕
京都帝大福岡医科大学〔明治41年〕卒

学位〔年〕
医学博士〔大正8年〕

主な受賞名〔年〕
文化功労者〔昭和38年〕,勲二等旭日重光章〔昭和39年〕

経歴
稲田竜吉門下。大正5年九州帝大医科大学教授となり、昭和3年付属病院長、医学部長、温研究所長などを兼任、18年退官、名誉教授。その後満州国新京特別市立第一病院長、22年別府市国立亀川病院長、久留米医科大学長、のち名誉教授。下関厚生病院長、39年飯塚病院長を歴任。33年学士院会員。消化器疾患での小野寺圧痛点は有名。金田一京助、野村湖堂は盛岡中学同窓、1級下の石川啄木親交著書に「小野寺教授論文集」「圧診法」など。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「小野寺直助」の意味・わかりやすい解説

小野寺直助
おのでらなおすけ

[生]1883.5.31. 岩手
[没]1968.11.3. 福岡
内科学者。 1908年京都帝国大学福岡医科大学 (九州大学医学部の前身) を卒業。 16年母校の教授となる。消化器病学の権威小野寺圧点などを発見,圧診断法を開発した。 58年日本学士院会員。 63年文化功労者。主著『圧診法』。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「小野寺直助」の解説

小野寺直助 おのでら-なおすけ

1883-1968 明治-昭和時代の内科学者。
明治16年5月31日生まれ。大正5年九州帝大教授となり,同大付属病院長,医学部長などをつとめた。昭和22年久留米医大学長。消化器疾患の診断に小野寺式圧診法を考案した。38年文化功労者。昭和43年11月3日死去。85歳。岩手県出身。京都帝大福岡医大(現九大)卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「小野寺直助」の解説

小野寺 直助 (おのでら なおすけ)

生年月日:1883年5月31日
明治時代-昭和時代の内科医学者。九州帝国大学教授;久留米医科大学学長
1968年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

今日のキーワード

カイロス

宇宙事業会社スペースワンが開発した小型ロケット。固体燃料の3段式で、宇宙航空研究開発機構(JAXA)が開発を進めるイプシロンSよりもさらに小さい。スペースワンは契約から打ち上げまでの期間で世界最短を...

カイロスの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android