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金田一京助 きんだいち きょうすけ

美術人名辞典の解説

金田一京助

言語学者。岩手県生。東京帝大卒。アイヌ民族の言語・文学・民族に関する諸分野の学問的基盤を作り上げた。戦後は文部省国語審議会委員として敬語現代仮名遣いの整理に活躍。また和歌を能くし、花明の号で「明星」に作品を発表。同郷石川啄木親交を結び、彼の良き理解者・庇護者となった。随筆も多い。東大等教授。文化勲章受章。昭和46年(1971)歿、89才。

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デジタル大辞泉の解説

きんだいち‐きょうすけ〔‐キヤウすけ〕【金田一京助】

[1882~1971]言語学者・国語学者。岩手の生まれ。春彦の父。東大・国学院大教授。ユーカラおよびアイヌ語研究の基礎を築いた。文化勲章受章。著「アイヌ叙事詩ユーカラの研究」「アイヌ叙事詩ユーカラ集」「国語音韻論」など。

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百科事典マイペディアの解説

金田一京助【きんだいちきょうすけ】

言語学者,国語学者。盛岡市の生れ。東大言語学科卒。アイヌ語研究とユーカラの学問的研究を大成した。主著に《国語音韻論》《アイヌ叙事詩ユーカラの研究》《国語史系統篇》がある。
→関連項目金成マツ金田一春彦知里真志保

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

金田一京助 きんだいち-きょうすけ

1882-1971 明治-昭和時代の言語学者,国語学者。
明治15年5月5日生まれ。金田一春彦の父。大正11年国学院大教授,昭和16-18年東京帝大教授。知里(ちり)幸恵,金成(かんなり)マツらの協力をえてアイヌ民族の言語,文学,民俗をはじめて体系的に研究し,昭和7年「アイヌ叙事詩ユーカラの研究」で学士院恩賜賞。29年文化勲章。国語辞典の編集や石川啄木との交遊も知られる。昭和46年11月14日死去。89歳。岩手県出身。東京帝大卒。

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世界大百科事典 第2版の解説

きんだいちきょうすけ【金田一京助】

1882‐1971(明治15‐昭和46)
言語学者,国語学者。文学博士,学士院会員。盛岡市四ッ家町に生まれ,二高を経て1907年東京帝国大学文科大学言語学科卒業。28年東京帝大助教授,42年同教授,43年定年退官。その後,国学院大学教授,日本言語学会副会長,国立国語研究所評議員,国語審議会副会長などをつとめた。大学在学の当時からアイヌ語の研究を始め,しばしば北海道,サハリン(樺太)に実地踏査し,あるいはアイヌ人を自宅に招いて,口承文学作品の筆録と研究につとめ,その言語の言語学的研究を行った。

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大辞林 第三版の解説

きんだいちきょうすけ【金田一京助】

1882~1971) 言語学者・国語学者。岩手県生まれ。東大・国学院大教授。アイヌ語の実地探査を行い、アイヌ語・アイヌ文学の研究に専心した。著「アイヌ叙事詩ユーカラの研究」「国語音韻論」ほか、編「辞海」など。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

金田一京助
きんだいちきょうすけ

[生]1882.5.5. 盛岡
[没]1971.11.14. 東京
言語学者。 1907年東京帝国大学言語学科卒業。國學院大學,東京大学教授。在学中からサハリン,北海道で調査を行ない,多くのユーカラを採録した。以後アイヌ語,アイヌ文学の研究に専念。 1932年『アイヌ叙事詩ユーカラの研究』 (2巻,1931) で帝国学士院恩賜賞を授与される。 1948年日本学士院会員となり,1954年には文化勲章受章。また金田一が訳注をつけた『アイヌ叙事詩ユーカラ集』 (8巻,1959~68,金成マツ筆録) は,アイヌの言語,文学,民俗学研究史上記念碑的作品となったが,9巻目の準備中に急逝。ほかに国語学の論文,著作も多く,『国語史系統編』『国語音韻論』『明解国語辞典』 (監修) ,『辞海』 (監修) などがある。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

金田一京助
きんだいちきょうすけ
(1882―1971)

言語学者。アイヌ文学研究、アイヌ語学の創設者。明治15年5月5日岩手県盛岡に生まれる。東京帝国大学文学部言語学科に学ぶ。明治末年は日本言語学の黎明(れいめい)時代で、当時指導者であった上田万年(かずとし)は日本語研究のためにも周辺の諸言語の研究が必要であることを提唱、そのときアイヌ語の研究を指定されたのが金田一であった。欧米文化万能の時代に、旧弊として捨てて顧みられなかったアイヌ語の研究をライフワークとして選び、彼の研究で、初めてアイヌ叙事詩ユーカラが世に紹介され、アイヌ語が学問的に解明された。『アイヌ叙事詩ユーカラの研究』2巻(1931。学士院恩賜賞受賞)、『アイヌ叙事詩 ユーカラ集』(1959~68)をはじめとするユーカラやアイヌ語文法に関する数々の著書は、日本列島の北方の文化を学ぶ者の原点として永久に残る。
 1935年(昭和10)ごろからは国語学の研究にも関心が及び、『辞海』『明解国語辞典』『新選国語辞典』など諸辞典の編纂(へんさん)や『中等国語』『高等国語』などの教科書の編修も広く行った。また、同郷の歌人、石川啄木(たくぼく)と深い交友関係にあり、『石川啄木』(1951)の著がある。東大・国学院大・早大教授。文学博士。54年(昭和29)文化勲章受章。昭和46年11月14日没。墓は東京都文京区本郷の喜福寺にある。[山田秀三]
『『金田一京助選集』全3巻(1960~62・三省堂) ▽金成まつ筆録、金田一京助訳注『アイヌ叙事詩 ユーカラ集』全8巻(1959~68・三省堂)』

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世界大百科事典内の金田一京助の言及

【アイヌ語】より

…後者は《もしほ草》とダビドフの集めた単語や例文を材料として分析,構成された労作であった。【藤島 高志】 その後永田方正(1838‐1911),B.ピウスーツキJ.バチェラーらの研究が見られたが,現代アイヌ語学の基礎を作り上げたのは金田一京助であり,その《アイヌユーカラ語法摘要》(1931)は,以後のアイヌ語研究の出発点となっている。その金田一の影響を受けて研究を始めた知里真志保は,《摘要》を下敷きに《アイヌ語法概説》(1936。…

【日本語】より

…フィンランドのアルタイ語学者G.J.ラムステッドも《アルタイ諸語と日本語との比較》(1924)で同じ見解を表明している。またアイヌ語の権威者金田一(きんだいち)京助は,《国語史系統篇》(1932)の中で日本語が原始アルタイ語と遠い親族関係にあると述べている。古代日本語の研究が進み橋本進吉により甲類〈オ〉と乙類〈オ〉の区別が指摘され,これを有坂秀世が母音調和の現象に結びつけたためアルタイ説は強化された。…

【ユーカラ】より

…江戸時代には蝦夷浄瑠璃(えぞじようるり)などと称された。金田一京助によって研究,紹介されて以来,ユーカラといえばこの〈人間のユーカラ〉を指すようになったが,アイヌ語では一般にサコロベ(サコルペ)sakorpe,ヤイエラプyayerap,ハウhawなどとも呼ばれている。 この〈人間のユーカラ〉は大作が多く,短いものでも2000句余,朝まで語り続けても終わらぬほど長大なものもあった。…

※「金田一京助」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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