小野谷村(読み)おのだにむら

日本歴史地名大系 「小野谷村」の解説

小野谷村
おのだにむら

[現在地名]嘉穂町小野谷

桑野くわの村の北西に位置する。北東部を遠賀おんが川が流れる。集落は本村しも五・山上やまがみ一一・坂口一・薙野なぎの五・枇杷木びわき七・はる二・八郎屋敷はちろうやしき三・千代丸ちよまる一・上原一・阿弥陀寺あみだじ二・近藤こんどう四・小路しようじ六・石井谷いしいだに一〇・勧喜寺かんぎじ一〇・小山おやま四・畠中はたけなか三・たに三・山際やまぎわ二・永天二・鎌鞴たたら一・極楽寺ごくらくじ(「郷村鑑帳」秋月郷土館蔵)。慶長年中(一五九六―一六一五)桑野村から分村したという(「掌中秘記」同館蔵)


小野谷村
おのだにむら

[現在地名]作東町小谷おのだに

岩辺いわなべ村の北東、吉野よしの川左岸に立地する。年代未詳であるが、対岸北の山手やまて村から分村したという(東作誌)正保郷帳に村名がみえ、田一三二石余・畑八七石余。元禄一〇年(一六九七)美作国郡村高辻帳では改出高八五石余・開高三五石余、村位は上。津山藩森氏断絶後は幕府領、延享二年(一七四五)因幡鳥取藩預、天明七年(一七八七)下総佐倉藩領、天保一五年(一八四四)幕府領(美作国郷村支配記)


小野谷村
おのだにむら

[現在地名]武生市小野谷町

日野山の北西麓にあり、中世小野谷庄の地。慶長一一年(一六〇六)頃の越前国絵図には今南西いまなんせい郡中に村名と高一〇七七・八六石が記され、正保郷帳によると、田方一千三二石余・畠方四五石余。貞享三年(一六八六)福井藩領から幕府領、元禄五年(一六九二)から一時土岐頼殷領となるが、享保六年(一七二一)以降は鯖江藩領。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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