後藤又兵衛(読み)ゴトウマタベエ

デジタル大辞泉 「後藤又兵衛」の意味・読み・例文・類語

ごとう‐またべえ〔‐またベヱ〕【後藤又兵衛】

[?~1615]安土桃山・江戸初期の武将播磨はりまの人。名は基次。黒田孝高長政に仕え、豊臣秀吉の九州出兵、文禄の役慶長の役関ヶ原の戦いに功をあげたが、のち、長政に疎んぜられて黒田家を退去。諸国流浪ののち豊臣秀頼に招かれて大坂城に入り、大坂夏の陣戦死

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関連語 関ヶ原 文禄

精選版 日本国語大辞典 「後藤又兵衛」の意味・読み・例文・類語

ごとう‐またべえ【後藤又兵衛】

  1. 安土桃山・江戸初期の武将。本名、基次。播磨別所氏の家臣基国の子。黒田孝高・長政に仕え、九州征伐、文祿・慶長の役、関ケ原戦いに功をたてて、大隈城一万六千石を領する。のち浪人となり、大坂夏の陣に豊臣秀頼の招きをうけて奮戦し、討死。永祿三~元和元年(一五六〇‐一六一五

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「後藤又兵衛」の解説

後藤又兵衛 ごとう-またべえ

1560-1615 織豊-江戸時代前期の武将。
永禄(えいろく)3年生まれ。後藤基国の子。黒田孝高(よしたか)・長政につかえる。豊臣秀吉の九州攻め朝鮮出兵,また関ケ原の戦いで活躍したが,のち長政と不和になり各地を流浪。慶長19年豊臣秀頼(ひでより)にまねかれて大坂城にはいり,大坂夏の陣で20年5月6日戦死した。56歳。名は基次。
格言など】此節に臨みて心替り到さんことは,武士本意にあらず(徳川家康からのさそいに対する返事)

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百科事典マイペディア 「後藤又兵衛」の意味・わかりやすい解説

後藤又兵衛【ごとうまたべえ】

後藤基次

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「後藤又兵衛」の意味・わかりやすい解説

後藤又兵衛
ごとうまたべえ

後藤基次」のページをご覧ください。

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世界大百科事典(旧版)内の後藤又兵衛の言及

【後藤基次】より

…【加藤 真理子】
[伝承と作品化]
 徳川治政下では,幕府成立事情に関する出版・上演などは禁じられていたが,《難波(なにわ)戦記》《大坂軍記》(大坂軍記物)などの実録本や講釈などで,非公然に享受されていた。後藤又兵衛の大坂城入りやその奮戦ぶりは,私利に動かぬ豪快な行為として江戸期庶民の目に映じ,さまざまに尾ひれがついて快男子又兵衛像にふくらんだ。朝鮮の役でトラ退治のおり,いわゆる〈日本号の槍〉を代償に母里(もり)太兵衛の命を救った話や,黒田家から奉公構いを受けた際の言動などは,多く講釈による虚構と見られる。…

※「後藤又兵衛」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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