小馬出町(読み)こんまだしまち

日本歴史地名大系 「小馬出町」の解説

小馬出町
こんまだしまち

[現在地名]高岡市小馬出町

源平板屋げんぺいいたや町の西に並行し、南北に延びる両側町で、北はよこ町。北陸街道が通り、当町北端で東に折れ坂下さかした町に至る。守山もりやま町・木舟きぶね町とともに通り筋とおりすじ三町といわれ、中心問屋街であった。本町で、信州上田うえだ(現長野県上田市)から安元四郎左衛門という武士が来住したのに始まり、追って信州から人々が移住してきたという。当初は信濃しなの町と称したと伝える(高岡町由緒聞書)。のち小馬出町に改められたが、坂高さかのたか町に枡形があり、小さな馬出の前にある町にちなむ(高岡町図之弁)。前田利長が御所車を下賜したと伝える七町の一。

小馬出町
こんまでまち

[現在地名]小松市小馬出町・浮城町うきしろまち

きよう町の西に並行する南北通りで、北で東に折れ京町に続く。長さ二町三五間・幅三間、「中間西ニ入ル此所ヲ字竹島ト云フ」とある(皇国地誌)。「こうまだしまち」ともよばれた。藩政時代には竹島たけしまにあった馬場から馬が引出され、登城する武士が乗馬したので御馬出おうまだしとよばれた武家屋敷地帯であったという。前田利常在城時代は二七軒の武家屋敷があり、その後も番頭や町奉行の役宅があり、町下代も居住し、町会所・米蔵も設けられ、政治の中心地であった(小松市史)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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