小鶴村(読み)こづるむら

日本歴史地名大系 「小鶴村」の解説

小鶴村
こづるむら

[現在地名]仙台市小鶴・扇町おうぎまち一丁目・小鶴一―三丁目・燕沢つばめざわ一丁目・燕沢東つばめざわひがし二丁目・日の出町ひのでまち一丁目・東仙台ひがしせんだい一丁目

燕沢村の南に位置し、東は田子たご村。小鶴の名は鎌倉期の正安二年(一三〇〇)五月二一日の留守家政譲状(留守文書)に「荒居堺者、限小鶴河之流於沼」とみえる。観応の擾乱の隙をついて観応二年(一三五一)南朝鎮守府将軍の北畠顕信が府中(多賀国府か)を襲ったが、同三年北朝方の石川兼光は南朝方の大将中院・多田左近大夫将監らを小鶴で迎え撃っている(文和二年五月日「石川兼光目安状」白川文書)


小鶴村
こづるむら

[現在地名]茨城町小鶴

涸沼ひぬま(小鶴川とも)左岸に位置し、北は長岡ながおか村。中世には小鶴庄の本郷であった。同庄は室町期には宍戸ししど庄ともよばれ、永享七年(一四三五)の富有注文(続常陸遺文)には荘内の「山尾小鶴郷」と記される(→小鶴庄。「新編常陸国誌」に「正宗寺本江戸氏系図ニ、文明十三年五月五日、江戸但馬守道雅、小幡長門守〔小幡城主〕ト小ツル原ニ戦テ、小幡ノ援兵北条ヲ初メ、名アル勇士六十四人戦死シ、江戸方モ柳野左京進ヲハジメ、四十四人打死セシコトミエタリ」とあり、「勝下合戦記」(「大日本地名辞書」所収)にも「小鶴原」とみえる。

慶長七年(一六〇二)秋田氏領となったことを示す御知行之覚(秋田家文書)に小露村八七二・八石があるが、当村のことか。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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