小鶴庄(読み)こづるのしよう

日本歴史地名大系 「小鶴庄」の解説

小鶴庄
こづるのしよう

涸沼ひぬま川の流域に成立した荘園。おおよその荘域は現茨城町・美野里みのり町・内原町、現西茨城郡友部町の大部分と現新治にいはり八郷やさと町の一部と思われる。

治承四年(一一八〇)五月一一日の皇嘉門院惣処分状(九条家文書)に「ひたち こつるきた みなみ」と出るのが早い。立荘の事情などは明確でないが、おそらく平安末期の律令制下の茨城郡は常陸平氏本宗の支配下にあり、南野みなみの牧の自立の後にこの地域が荘園化したものと推定される。立荘にあたっては常陸平氏本宗が寄与しており、下司職は多気義幹あるいは下妻広幹の手中にあったと考えられる。弘安大田文には「小庄四百丁」と記される。治承四年の処分状により、小鶴庄は南北に分れていたこと、九条忠通から皇嘉門院に伝えられた諸荘の一つであること、門院から甥の九条良通に譲られたことがわかる。元久元年(一二〇四)四月二三日の九条兼実置文(同文書)によれば宜秋門院へ譲与した所領のなかに「常陸国小鶴南庄同北庄」とあり、同日付の九条兼実譲状抄(同文書)には御堂御前(九条良通室)への譲与として「常陸国小鶴北庄」とみえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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