改訂新版 世界大百科事典 「尹致昊」の意味・わかりやすい解説
尹致昊 (いんちこう)
Yun Ch`i-ho
生没年:1865-1945
朝鮮の政治家。号は佐翁。忠清道牙山の生れ。1881年紳士遊覧団の随員として渡日し,中村正直の同人社に学んだ。83年アメリカ公使館通訳となって帰国,開化派に荷担し,甲申政変失敗後は上海およびアメリカへ留学し,アメリカ南メソディスト派の信徒となった。95年帰国して外部協弁,学部協弁を歴任,96年ロシア皇帝戴冠式に閔泳煥(びんえいかん)の随員として参加。フランスに遊学して97年帰国。独立協会に加わり,98年会長となり反露闘争,国政改革運動を指導。同会解散後は1904年外部協弁,05年日韓保護条約締結後は退官し,大韓自強会,新民会の各会長。日本の朝鮮併合後の11年,105人事件により逮捕投獄された。15年出獄後は教育家,キリスト教界指導者として活動したが,日本統治末期には国民精神総動員朝鮮連盟の役員となるなど積極的対日協力者となり,解放後その罪を非難され自殺した。1883-1906年にわたる日記(6巻本)が公刊されている。
執筆者:糟谷 憲一
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報