改訂新版 世界大百科事典 「愛国啓蒙運動」の意味・わかりやすい解説
愛国啓蒙運動 (あいこくけいもううんどう)
朝鮮で20世紀初めに日本の支配に反対し,言論,出版,教育,民族産業育成などの活動を通じて民族意識の高揚と国権回復(独立)をはかった民族運動。愛国文化啓蒙運動ともいう。主な担い手は都市知識人,学生,民族資本家などであった。運動は1906年4月の大韓自強会(会長,尹致昊)の結成によって本格的に開始された。同会は運動の全国的中心となり,教育・産業の振興により自国の富強をはかり独立の基礎を培うという実力培養論を唱導した。07年7月に自強会が皇帝高宗の強制退位に反対する闘争を行い,保安法違反により解散させられると,同年4月に安昌浩らによって結成された秘密結社新民会(会長尹致昊)が新たに運動の中心となった。新民会は西北地方を基盤として啓蒙講演,教育,出版,産業育成,青年運動など多様な活動を展開した。これら全国的団体のほかに地方別の啓蒙・教育団体も06年以降,西友学会(平安道,黄海道),関北興学会(咸鏡道),湖南学会(全羅道),畿湖興学会(京畿道,忠清道)など続々と結成された。活発な教育運動により10年には私立学校は2000をこえ,新教育の普及と愛国精神・民主思想の高揚をみた。《大韓毎日申報》《皇城新聞》などの言論活動,申采浩・朴殷植らの民族史学の確立,周時経らの朝鮮語研究なども啓蒙運動の重要な一翼を形成した。日本は保安法・新聞紙法(1907),学会令(1908)などの弾圧法規により啓蒙運動を厳しく圧迫し続け,10年の日韓併合を機に諸団体,学会を解散させた。新民会も11年に朝鮮総督寺内正毅暗殺未遂容疑により,会員の大量逮捕と105人の有罪判決(105人事件)とを受けて崩壊し,愛国啓蒙運動は終息させられた。
執筆者:糟谷 憲一
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報