山口半七(読み)ヤマグチ ハンシチ

20世紀日本人名事典 「山口半七」の解説

山口 半七
ヤマグチ ハンシチ

明治・大正期の政治家,実業家 衆院議員;大分銀行整理委員長。



生年
嘉永6年1月7日(1853年)

没年
昭和7(1932)年6月9日

出生地
豊前国中津(大分県中津市)

学歴〔年〕
慶応義塾

経歴
豊前中津藩士の子として生まれる。郷里の先輩・福沢諭吉が経営する慶応義塾に学んだのち、中津中学校・慶応出版局・鶴谷商会に勤務。明治15年豊州立憲改進党の創立に際して発起人となり、以後県議や県会議長などを歴任。27年には衆院議員となり、公同倶楽部に所属した。その後も大分県における改進党系の重鎮として活躍。その傍ら、実業界でも活動し、豊中製糸会社・中津紡績会社・豊州瓦斯株式会社・耶馬渓鉄道などの設立に参画、43年には大分県農工銀行頭取に就任した。また、大正11年に大分銀行が休業すると、整理委員長としてその再建に奔走した。昭和4年に引退。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「山口半七」の解説

山口半七 やまぐち-はんしち

1853-1932 明治-大正時代の政治家,実業家。
嘉永(かえい)6年1月7日生まれ。もと豊前(ぶぜん)中津藩(大分県)藩士。慶応義塾にまなぶ。大分県会議員,県会議長をつとめ明治27年衆議院議員(公同倶楽部)。のち中津紡績社長,大分県農工銀行頭取となる。昭和7年6月9日死去。80歳。初名克己

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

今日のキーワード

仕事納

〘 名詞 〙 年の暮れに、その年の仕事を終えること。また、その日。《 季語・冬 》[初出の実例]「けふは大晦日(つごもり)一年中の仕事納(オサ)め」(出典:浄瑠璃・新版歌祭文(お染久松)(1780)油...

仕事納の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android