日本大百科全書(ニッポニカ) 「山口喜一郎」の意味・わかりやすい解説
山口喜一郎
やまぐちきいちろう
(1872―1952)
日本語教育者。明治5年4月17日、石川県鳳至(ふげし)郡輪島村(現、輪島市)に生まれる。1887年(明治20)石川県尋常師範学校卒業後、同県や東京で国語教育ののち、外地での日本語教育に一貫して従事した。1897年からは台湾、1911年(明治44)からは朝鮮、1925年(大正14)からは旅順、奉天、1938年(昭和13)からは北京(ペキン)(新民学院教授)、1944年からは大連と、日本語教育に携わり、とくに日本語だけによる直接法の指導理論と実践の確立に努めた。第二次世界大戦後は、話しことばの教育の開拓に力を注いだ。昭和27年2月29日死去。著書に『日本語教授法原論』(1943)、『話言葉とその教育』(1951)などがある。
[古田東朔 2018年10月19日]
『『追悼記』(全国大学国語教育学会編『国語科教育 第一集』所収・1952・教育評論社)』