国語すなわち自国の国家語(公用語)の発音,文字,語彙,文法,語法などを習得させ,さらにそれらを基礎にして行う聞く,話す,読む,書くなどの言語諸活動の能力の発展をはかり,あわせて国語への正しい関心や言語感覚などの発育をはかる教育的働きかけの総称。日本のように事実上の公用語が日本語一つの場合,国語教育は日本語教育と同義となるが,公用語が複数ある場合(たとえばスイスは四つ,ベルギーは二つ),国語教育ということばは,各公用語の教育をさすことになる。また公用語(国家語)は一つであるが,一国のなかに多民族が存在していて,各民族語の教育と公用語の教育の両方が行われている場合,通常公用語の教育のほうを国語教育という。外国語教育と対比して国語教育ということばが使われる場合,このことばは母国語教育ということばと重なる。
現在,国語教育は学校においてその能力の育成をめざして編成された諸教科(日本なら国語科)で中心的に行われているが,それはこの教育が公用語(国家語)を国民に広め一般化するという目標をもって出発したという事情と無縁ではない。けれども国語の力は,とくに日本のように(事実上の)公用語と日常の生活言語が重なっているような国では,定型的に組織された学校における教科の教育のなかでのみはぐくまれると考えるべきではなく,誕生後,親や地域社会が施す非系統的であるがたんねんな母語の教育のなかではぐくまれる面が大きい。またそれぞれの国の言語環境や言語文化が国民の国語の力に与える影響も大きく,学校における国語教育はそれらの成果の上にたって,これと有機的に結びつきながら,家庭や地域社会の教育だけでは十分育成できない言語諸能力の発達をめざして行われると考えるべきである。
厳密な意味での国語教育は,いずれの国においても,統一的な近代国家の成立の過程あるいは以降に登場したものである。それまでの言語の教育は,国語(国家語)の教育というよりは,各民族の地方性を伴った民族語の教育が中心で,内容的には話しことばによる,方法的には非組織的な,生活のなかでの教育であった。当時の書きことば(文字と文字による文化)の教育は,貴族や僧侶などの教養・支配階層がいわば独占的に行っており,それも自民族の書きことばよりも,ヨーロッパではラテン語を,日本では漢文を重視するというように,国家や民族意識よりも,それを学ぶことが教養であり支配層としてのあかしであるというような意識に支えられたものであった。
自民族の言語の書きことばで,しかもそれを民衆にまで広げて教育しようとする発想が登場するためには,宗教上の必要ということを除けば,おもに(1)近代国家の成立に伴うナショナリズムの発生と国家語意識の登場,(2)近代的な印刷技術の発生,経済・文化生活の向上,人々の交通の拡大などによって,民衆のなかに書きことばを必要とする条件と習得の可能性が拡大すること,の二つの気運の高まりをまたねばならなかった。このうち前者は国家という立場から為政者(ブルジョアジー)が強く意識し,後者は国民の側が自覚したものであった。それゆえ,両者の立場からする国語教育論はしばしば対立することもあった。現実の各国の国語教育は,それぞれの立場からの発想の交差する地点に成立したものと考えてよいが,その実態は一様ではない。たとえば日本に,寺子屋方式にかわる近代的なヨーロッパ方式の国語教育が採り入れられたのは1872年(明治5)の〈学制〉発布以降であるが,〈国語科〉という名称の教科が登場するのは1900年の小学校令,同令施行規則の改訂以降であり,この時期が標準語政策の登場や,国定教科書制度の実施の時期とほぼ重なることからも,この〈国語科〉の出現には,上記のうち(1)の立場が強く反映していた事情がうかがわれる。先の(2)の立場は,書きことばの教育が国民のすべてに真理・真実に接近する権利を保障するという思想を伴うことが多いが,こうした立場を含んで国語教育をとらえる発想は,第2次世界大戦以降ようやく一般化したものと考えられる。
国語教育の内容や方法は,こうした背景のゆえに,もっともふるくからある教育であるにもかかわらず,いまだ確固として定式化されたものが存在するとはいえず,大きくみれば現在も実験段階にある。日本の明治初期の国語教育は,初等教育において〈綴字〉〈習字〉〈単語〉〈会話〉〈読本〉〈書牘(しよとく)〉〈文法〉というように西洋流の方式と寺子屋方式を混在させたものであったが,これらは徐々に〈読ミ方〉〈書キ方〉〈綴リ方〉に整理されていった。1903年の最初の国定教科書はこの三分法をとった〈国語科〉のもとでの教科書であったが,その《尋常小学読本》巻一は〈イ〉〈エ〉〈ス〉〈シ〉というかたかなで始められていることに明らかなように,文からではなく語ないしは文字から出発する発想が強く残っていた。こうした言語中心主義から文学作品重視主義へ移っていくのは明治末から大正期にかけてであるが,なかでも大正期は垣内(かいとう)松三らによって国語教育に関する研究が進んだ時期であった。この時期,〈読ミ方〉の方法や目標の研究が進められる一方で,〈綴リ方〉も,それまでの模範文章を模倣するというスタイルから一歩進み,自由に題を選ばせる方式が登場するようになった。のちに〈生活綴方〉として定式化される,自己の生活事象を題材に,そこに含まれる感動や疑問などを自由につづって,書くことにより生活認識や思想を深め,あわせて文章表現力をきたえるという日本独特の国語教育の方式も,この延長線上に生み出された。
戦後は,まずアメリカのコミュニケーション能力重視の国語教育論の影響があり,日常の言語生活を類型化して,電話のかけ方,討論のしかたなどを訓練するというようなやり方が広まった。しかし,これは読み書き能力の低下を招いたなどの批判を呼び,ふたたび文学作品を中心とする言語文化を重視する傾向が復活された。文部省はその後,国語教育の内容を,〈聞くこと〉〈話すこと〉〈読むこと〉〈書くこと〉の4領域に区分したうえで,授業過程ではこの4者を切りはなさずに,具体的な言語活動の経験を教材の素材にしてつみ重ねさせ,結果としてこの四つの言語能力を身につけさせようとする方式を提唱したが,これは今日にも基本的にひきつがれている。この立場からは,たとえば言語についての諸知識も,とりたてて系統的に教えるのではなく,言語活動の経験に即して,必要に応じて教えるという方法がとられることとなる。1960年代以降は,欧米における思考力重視の国語教育論の影響もあり,先の4者を思考技能としてとらえ直し,国語科を思考技能の養成の教科として位置づけようとする傾向も強くなっている。70年代後半の学習指導要領改訂以降は,先の4領域を〈表現〉と〈理解〉に統合し,これに言語要素の指導を織りまぜた構造が提唱されているが,考え方の基本は同じである。以上は〈国語科〉に限ってみた日本の支配的な国語教育政策にみられる内容,方法の流れであるが,実際にはこれに対立する考え方も多様にあり,今後ともその内容,方法は深められ発展していくものと思われる。
国語教育の目標は,日本ならばすぐれた日本語のにない手を育てるということに要約されるだろうが,このことに,すべての国民に真理,真実へ接近する権利を保障するというさきの要請を重ね合わせてみるならば,どの国でも,国語教育の内容,方法をいっそう改善していくことが課題として自覚されねばならないだろう。日本の場合,初等教育における国語教育の時間数が欧米各国に比して相対的に少ないこと,文学科のような教科が独立していないため,読解(読み方)指導の教材が文学作品に集中しやすく,科学的説明文などの読解指導の比重がどうしても小さくなりがちであること,詳しく読みとる訓練は重視されているが,多く読むという読書指導が十分行われていないこと,漢字の指導方式がまだ経験的であるため,反復ドリル方式が中心になって,そのためにさかれる時間が他の学習を圧迫しがちであること,などが一般的に解決すべき課題として指摘されている。また,文法などの言語事項にかかわる指導を,現行のように読解過程に付属して非系統的に行うのではなく,欧米のように独自の教材を用意して,初等教育段階からとりたてて系統的に行うべきであるという意見や一部での試みがあり,さらに作文指導を,日本の生み出したすぐれた方法である〈生活綴方〉の伝統を生かして,あくまでも生徒の生活事実に即して行うことに徹すべきであるという意見等々も民間の国語教育関係の団体から出されているが,これらも今後実践的に確かめられていかねばならない課題であろう。それと同時に,今日および今後の情報環境や情報媒体の変化が,児童・生徒の言語能力,言語生活,言語観などにもたらす変化に国語教育がどう対応するかが,今後より切実な問題になると予想される。今日,児童・生徒はテレビや漫画など視聴覚に訴える情報媒体に囲まれて生活しており,そのため,書きことばの作品から他者の主張や描かれている諸現実を苦労して読みとろうとするよりは,視聴覚的な媒体にたよろうとする傾向が強くなる。これは文章を書いたり古典的な作品を読むことを避けようとする傾向となってあらわれるが,それは他者の経験に深く学ぶことを避けることにつながる可能性がある。それゆえ国語教育は,逆に書きことばの世界を深くわがものにするための配慮をいっそう工夫せざるをえないわけで,教材としての作品の選択,経験と言語のより適切な結びつき,言語の人間精神への規定性の認識などを教育上工夫しながら,きびしさのなかにも楽しさを伴った国語学習のスタイルをきずきあげていく努力を重ねるべきであろう。それらと,言語理解のベースである経験そのものを広め豊かにすること,他者との深い交わりを実現する言語活動を教育上工夫すること,などが今後の国語教育の共通の課題となると考えられる。
→言語教育 →言語政策
執筆者:汐見 稔幸
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
国家・民族の成員に対して施される母国語あるいは公用語に関する教育営為を総称していう。国語教育という語は、一般に家庭、社会(職域・職場など)、学校において営まれる、国語生活・国語能力(知識・技能・態度をも含む)に関するしつけ・指導・訓練などを包括して用いられる。わが国の場合、国語教育は母国語としての日本語の教育である。
しかし、一定の学校教育制度下にあって、小学校・中学校・高等学校などで、国語科という1個の教科を編成し、それぞれの校種にふさわしい教育内容を組織して、児童・生徒に対し意図的・計画的に学習指導が行われる場合には、国語科教育と称される。国語教育(広義)と国語科教育(狭義)を区別して、両者が使い分けられることも多いが、一般には国語科教育をさして国語教育と称することも少なくない。もちろん、幼稚園・保育所においても、大学(とりわけ教養課程、さらには専門課程)や各種専修学校等においても、国語の指導・教育は行われている。(幼稚園)・小・中・高等学校・(大学)等で営まれる「国語科教育」は、国語教育(広義)の中核をなすものであり、家庭における国語教育は、国語科教育の土台・基盤を形づくり、社会(職域・職場など)における国語教育は、国語科教育の応用・発展・精練であるともみられる。
[野地潤家]
学校教育における国語科は基礎教科として重きをなしている。多くの教科群のなかで基礎教科と目される根拠は、以下のとおりである。
(1)国語(言語)の習得は人間形成の中核をなしている。思考力が深まり、心情が豊かになり、人間同士の通じあい(コミュニケーション)が成り立つ。母国語を習得することによって、民族としての、国家の成員としての社会生活が営まれるようになる。
(2)基礎学力獲得の中枢をなしている。理解力・表現力の習得と伸長とによって、他の数多くの教科の学習を可能にし、多くの学習活動を助長していく。
(3)文学、科学、文化の形成と創造とを可能にしていく。言語文化とよばれているものの創造はもとより、他の諸科学領域においても、国語(言語)の果たす役割は大きい。
このようにみれば、国語科教育は、学習者(児童・生徒)に国語(言語)の学習指導を通じて、生活力、学習力、創造力を身につけさせるための教科としての教育である。
[野地潤家]
国語教育の目標は、国家・民族の成員に社会生活・社会的活動をなすに必要な言語能力を習得させていくことに置かれている。わけても、国語科教育の目的・目標は、小学校・中学校・高等学校を通じて、生活に必要な国語の能力(表現力・理解力)を養い、高め、国語を尊重していくようにさせることに求められる。つまり「国語を適切に表現し正確に理解する能力を育成し、伝え合う力を高めるとともに」(小学校・中学校・高等学校)、さらに「思考力や想像力を養い」(小学校・中学校)、「思考力を伸ばし心情を豊かにし」(高等学校)、言語感覚を「養い」(小学校)、「豊かにし」(中学校)、「磨き」(高等学校)、これらに加えて「国語に対する関心を深め国語を尊重する態度を育てる」(小学校)、「国語に対する認識を深め国語を尊重する態度を育てる」(中学校)、「言語文化に対する関心を深め、国語を尊重してその向上を図る態度を育てる」(高等学校)という目標がたてられている(小・中・高等学校「学習指導要領」による)。
[野地潤家]
国語教育(国語科教育)の領域としては、言語要素、言語能力、言語文化が考えられる。「言語要素」は、文字、発音、文法、語句、語彙(ごい)、表記などを含み、国語教育(国語科教育)の基軸をなす領域である。「言語能力」は、言語生活・言語行為における理解力・表現力を含み、中核をなす領域である。「言語文化」は、古典(古文・漢文)をはじめ、近代・現代における優れた作品・述作を含み、民族文化の伝統と独自性を示す領域を築いている。
これら各領域を通じての国語教育(国語科教育)の対象としては、ことば(文字・語句・語法)、文(センテンス)、文章(段落・作品)の三つの種類にまとめられる。また、国語教育(国語科教育)の授業の構造は、目標、内容、方法、評価によって機能し、単元ごと、教材ごとに学習指導過程を構築しつつ、実践が営まれる。国語教育(国語科教育)は国民教育の中核をなしている。
[野地潤家]
国語科の成立を視点として、次の3期に分けられる。
(1)第1期 国語科以前から国語科の成立まで――明治初年から1899年(明治32)まで
(2)第2期 国語科の成立から国民科国語の成立・崩壊まで――1900年(明治33)から45年(昭和20)まで
(3)第3期 第二次世界大戦後の小学校国語科の成立と展開――1946年(昭和21)から現在まで
わが国の初等国語科教育は、1872年(明治5)8月に公布された「学制」によってその出発点を固めることができた。しかし当時は、現在のような独立した教科体制が整備されていたわけではない。「国語科」以前とも称しうる、一つの国語科に統合されない複合的な姿をとっていた。1900年(明治33)8月、「小学校令」が改正され、「小学校令施行規則」の公布で、初めて国語科としての内容が明確に規定され、「読ミ方」「綴(つづ)リ方」「書キ方」「話シ方」に統合され、基礎教科として整備されるようになった。
明治後期、大正期を経て、昭和(第二次世界大戦前)期に入ると、国語科教育は、文学教育としても言語教育としても、その内容を充実させ、1935年(昭和10)ごろには、もっとも高揚した時期を迎えた。しかし、41年4月、戦時下、太平洋戦争勃発(ぼっぱつ)を前に、小学校は国民学校へと切り替えられた。従来の国語科は修身・歴史・地理とともに、国民科に統合され、国民科国語とよばれるようになった。太平洋戦争の激化とともに、その実践は思うに任せず、敗戦によって、ふたたび抜本的改革を迫られるに至った。
1947年(昭和22)「教育基本法」「学校教育法」が公布され、さらに「学校教育法施行規則」が制定された。国語科も制度的には「学習指導要領」に基づいて組織された。47年初めて成った「学習指導要領」は、その後、51年、58年、68年、77年、90年、98年(高等学校は99年)と改訂がなされた。第7次の改訂(98年。高等学校は99年)では、国語科は、内容の領域構成を改め、新たに「A話すこと・聞くこと」「B書くこと」「C読むこと」および「言語事項」の3領域1事項から構成することとし、各領域の密接な関連のなかで、表現と理解の能力を調和的に育てていくことを重視し、実践に取り組むことになった。
[野地潤家]
今日わが国における国民の国語学力(とくに読み書き能力)は、国際的にみても、かなり高い水準にあると認められる。しかし、現下の小学校・中学校・高等学校において営まれている国語科教育が、児童・生徒のひとりひとりに国語学力(言語能力)を本当に身につけさせているかといえば、まだ十分でない点が多く残されている。
児童・生徒が自他のことばに無関心で、自らの国語学力(言語能力)を高めていくことに消極的であって、無気力に陥っている場合、国語学力(表現力・理解力)を伸ばし、国語愛を植え付け、国語を尊重していく態度を育てていくのは、容易なことではない。しかし、国語科教育としては、そのことを努力目標として進まなければならない。映像中心になった情報化社会にあって、主体的に自主的に言語を通して自ら思考力を伸ばし、創造性を豊かにしていく国語科教育が望まれている。人間性を豊かに育てていく国語科教育は、ますます重要性を増してくるであろう。話すこと、聞くこと、書くこと、読むことの単なる技能(スキル)に巧みな児童・生徒を育てるところに主眼はない。思慮深く、血の通った、人間的なことばの所有者として、生涯を通じて自らの母国語(日本語)を愛護していく児童・生徒の育成こそ国語教育(国語科教育)の永遠の課題である。
[野地潤家]
『野地潤家著『国語教育原論』(1973・共文社)』▽『波多野完治他編『増補版教育学全集5 言語と思考』(1975・小学館)』▽『野地潤家著『国語教育の創造』(1982・国土社)』▽『石井庄司著『近代国語教育論史』(1983・教育出版センター)』▽『倉澤栄吉著『国語学室の思想と実践』(1999・東洋館出版社)』
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…明治以後の学校教育においても,その伝統をうけついで,〈読み方教育〉の中心として〈朗読〉が重視された。ところが,第2次大戦後の一時期,アメリカの経験主義教育の影響から,国語教育では,〈音読〉よりも〈黙読〉が重要とされ,〈朗読〉を軽視する風潮が広まった。それに対して,国語教育にとって正しい〈朗読〉の指導が必要であることを主張する声がおこり,やがて,文部省の〈学習指導要領〉などでも,小学校初級においては〈音読〉,上級からは〈朗読〉の指導の必要性を強調するようになった。…
※「国語教育」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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