日本歴史地名大系 「山名村」の解説 山名村やまなむら 群馬県:高崎市山名村[現在地名]高崎市山名町・城山町(しろやままち)二丁目根小屋(ねごや)村の東南、阿久津(あくつ)村・木部(きべ)村の西にある。東南流する烏(からす)川に沿って、北西方の片岡(かたおか)郡から連なってきた丘陵が大きく方向を変え、鏑(かぶら)川に沿って東方へ進む。当村はこの曲り角にあたる地域を中心にして烏川右岸と鏑川左岸に広がる。南は鏑川を挟んで上落合(かみおちあい)村(現藤岡市)。古代には佐野(さの)屯倉の勢力下にあったと考えられ、また「和名抄」に載る多胡(たご)郡山字(やまな)郷の中心地に比定される。中世山名郷は山名氏の本貫地であった。寛文郷帳・元禄郷帳・天保郷帳ともに緑野(みどの)郡に載せ、近世の文書類もほぼ同郡とするが、「多胡砂子」などは多胡郡にあげる。 山名村やまなむら 千葉県:安房郡三芳村山名村[現在地名]三芳村山名増間(ますま)村の南に位置し、山名川が流れる。本郷(ほんごう)・堀之内(ほりのうち)などの地名がある。建武二年(一三三五)安西弥七郎・丸五郎が安房国の郡司領として押領をほしいままにしていたが、暦応四年(一三四一)山名庄を没収したという(「斎武宿弥栄本系帳」小野家文書)。慶長二年(一五九七)の安房国検地高目録の山下(やまもと)郡内に給方分として村名がみえ、高七〇九石余(うち田四八二石余)。元和四年(一六一八)九月の山下郡山名村検地帳(六冊、山名区有文書)が残る。正保郷帳では安房郡に属し、高六六一石余で、旗本諏訪領。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by