山川郷
やまがわごう
鹿児島藩の近世外城の一つ。「三州御治世要覧」には給黎郡・揖宿郡のうちとあるが、これは頴娃郡・揖宿郡のうちの誤りで、鹿児島城下より一三里の地にある。所属村は初め揖宿郡の山川村・鳴川村の二村であったが、正保四年(一六四七)頴娃郷大山村が、慶安三年(一六五〇)同郷岡児ヶ水村が当郷に編入され(文政七年「頴娃郷旧跡帳」県立図書館蔵)、明暦三年(一六五七)に山川村が福元村と改称、以後揖宿郡二ヵ村・頴娃郡二ヵ村の計四ヵ村として幕末に至る。なお山川・鳴川両村は、かつて指宿郷に所属していた可能性がある(以上、前掲要覧)。
山川郷
やまかわごう
「和名抄」刊本・高山寺本ともに「山川」と記すが、高山寺本は山本郡に属すとする。現在の横手市に平鹿町醍醐地区を加えた範囲であろうか。「日本地理志料」は大屋・婦気・外目・大沢・安田・杉沢(現横手市)、馬鞍・樋口(現平鹿郡平鹿町)、南郷・三又・土淵・松川・黒沢(現平鹿郡山内村)の諸村、すなわち「山川荘内山郷」とよばれる地に比定している。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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