朝日日本歴史人物事典 「山村良勝」の解説
山村良勝
生年:永禄6(1563)
江戸初期の木曾代官。十三郎,甚兵衛,致仕して用済と号す。良候(道祐)の子,木曾義昌の臣。豊臣秀吉による木曾氏改易ののち徳川家康に召され,関ケ原の戦の前哨戦たる木曾攻略に参加。その功により一族が美濃に1万6200石を与えられ,道祐・良勝親子は同心分を含めて5900石(のち5700石)を食む。道祐は木曾代官となり,木曾の白木5000駄も与えられる。良勝は大坂冬の陣に尾張(名古屋)藩主徳川義直に属し,子の良安は木曾福島,贄川の関を守る。元和1(1615)年木曾が尾張藩領となるや,良勝・良安父子は尾張藩に属し木曾代官として木曾福島に常駐する。他方で父道祐と同様幕府より木曾福島関所を預けられ,幕臣でもあった。番頭並1万石の格式,柳之間詰,現港区芝と名古屋に屋敷地を与えられていた。<参考文献>『木曾福島町史』『名古屋市史 地理編』
(松田之利)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報