山根正次(読み)ヤマネ マサツグ

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「山根正次」の解説

山根 正次
ヤマネ マサツグ


肩書
衆院議員(無所属)

別名
号=殿山

生年月日
安政4年12月(1857年)

出身地
山口県

学歴
東京帝国大学医学部〔明治15年〕卒

経歴
長崎医学校教諭となる。司法省留学生として欧州巡遊、衛生行政制度を視察し、明治24年帰国。警察医長、医務局長、警視庁第3部長となり、内務省臨時検疫事務官、警視庁検疫委員長兼任。35年以来山口から衆院議員当選6回。また東京市議、同参事会員などをつとめ、40年朝鮮総督府衛生顧問となる。次いで日本医学専門学校長、国光生命保険会社医務監督。著書に「黴毒蔓延論」「禁酒禁煙論」「日本体育論」「赤痢病予防論」「医権論」などがある。

没年月日
大正14年8月29日

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「山根正次」の意味・わかりやすい解説

山根正次
やまねまさつぐ
(1857―1925)

医学者、政治家。山口県生まれ。1882年(明治15)東京大学医科大学を卒業。長崎医学校一等教諭に任ぜられ、病理学・内科学・内科臨床講義、婦人病学を担当する一方、当時、長崎地方に流行したコレラの予防に尽力した。その後、法医学の研究に転じ、司法省から海外留学を命ぜられ、1891年帰国するまで、ヨーロッパ各国の衛生行政制度と法医学を研究した。帰国後、警察医長、のち同医務局長、警視庁検疫委員長などを歴任し、日本の警察医務を基礎づけた。1902年(明治35)以来、衆議院議員に6回当選。私立日本医学専門学校長も務めた。

[大鳥蘭三郎]

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20世紀日本人名事典 「山根正次」の解説

山根 正次
ヤマネ マサツグ

明治・大正期の医師 衆院議員(無所属)。



生年
安政4年12月(1858年)

没年
大正14(1925)年8月29日

出身地
山口県

別名
号=殿山

学歴〔年〕
東京帝国大学医学部〔明治15年〕卒

経歴
長崎医学校教諭となる。司法省留学生として欧州巡遊、衛生行政制度を視察し、明治24年帰国。警察医長、医務局長、警視庁第3部長となり、内務省臨時検疫事務官、警視庁検疫委員長兼任。35年以来山口から衆院議員当選6回。また東京市議、同参事会員などをつとめ、40年朝鮮総督府衛生顧問となる。次いで日本医学専門学校長、国光生命保険会社医務監督。著書に「黴毒蔓延論」「禁酒禁煙論」「日本体育論」「赤痢病予防論」「医権論」などがある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「山根正次」の解説

山根正次 やまね-まさつぐ

1858*-1925 明治-大正時代の医師,政治家。
安政4年12月生まれ。長崎医学校在職中にコレラの防疫につとめる。イギリスなどに留学して衛生行政,法医学をまなび,警察医長,警視庁検疫委員長などを歴任。警察医務の基礎をきずいた。明治35年衆議院議員(当選6回)。大正14年8月29日死去。69歳。長門(ながと)(山口県)出身。東京大学卒。

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