法律上問題となる医学的事項に対して,医学の知識を応用し,その解決に役立てる医学の一分野。したがって法医学は,医学に基盤をおく学問であり,法学を主体として医学的なことがらを研究する医事法学とは趣を異にする。医学を基礎医学と応用医学とに分けた場合,法医学は後者に属する。また,つねに社会と関連を保ちつつ存在する学問であるため,公衆衛生学(保健医学あるいは環境医学)などとともに社会医学の一部門を形成する。法律のないところに法医学は存在しない。同時に,法医学は法治国家には不可欠の学問といえる。その定義からも明らかなとおり,法医学の究極の目的は,法の公正な適用を医学的側面から支えることにある。
医学の知識が,社会における法的な問題に応用された歴史は古い。ギリシア時代,すでにヒッポクラテスは,未熟児の母体外での生存能力について記述を残し,アリストテレスは,母体の妊娠期間について論じている。ローマ時代になると医師アンティスティウスは,暗殺されたユリウス・カエサルの死体について,23ヵ所の損傷のうち,胸部への第2傷が死因であると判定した。すなわち,複数損傷における致命傷の鑑定である。1249年にはイタリアで,初めて裁判官の命により宣誓のうえ,法医学的な証言が法廷でなされた。法医解剖が初めて行われたのも,1302年イタリアにおいてとされる。16世紀に入ると,ドイツのカール5世の刑法典には,殺人,傷害,堕胎などの医学的な問題を含む裁判においては,必ず医師を立ち会わせることが明記された。これは,刑事訴訟上の手続に,法医学鑑定が制度として採用された最初とされる。法医学が,独立した専門分野として形成されたのもこの時期で,フランス法医学の祖とされるA.パレは,この国で初めて法医解剖を行い,1575年には損傷と死に関する論文を刊行した。このころイタリアでは,妊娠期間,胎児の成育,中毒などの鑑定についての法医学の専門書が公刊されている。17世紀後半以降ヨーロッパ各国において,法医学は実際例の鑑定を中心に発展し,多数の法医学者が輩出した。近年においては,ドイツ,フランス,イギリスを中心に,臨床医学との関連を保ちながら,幅広い活動がみられる。
いっぽう,東洋における法医学は中国に始まる。1247年に刊行された宋慈による《洗冤集録(せんえんしゆうろく)》は,法医学書としては世界最古とされる。これを参考にした王与の《無冤録》(1308)は,明代になって朝鮮(李朝)に伝わり,さらに足利時代に日本に伝来した。これは1736年(元文1)に河合尚久により《無冤録述》として翻訳され,日本で最初の法医学書となった。これら中国の著書は,項目的には充実したものではあったが,明確な論拠をもたない主観的な記述が多く,客観性と実証性とを欠いていた。このため,西洋よりもはるか早期に開花したにもかかわらず,科学としての法医学にまで実を結ぶことができず,後年ヨーロッパ医学に簡単にその座をゆずることとなった。
日本における近代法医学は,1875年解剖学教師デーニツWilhelm Doenitz(1838-1912)が警視庁裁判医学校において公法医学あるいは裁判医学として講義したのが始まりである。82年には,日本人による最初の法医学書が《裁判医学提綱前編》として,片山国嘉らによって刊行された。片山は,日本の法医学の始祖とされ,81年に東京大学において,日本人として初めて法医学を講義した。また,ウィーンに留学して帰国後,88年には東京大学に裁判医学講座を創設した。この講座は,3年後に法医学講座と改称され,以後日本に法医学の名称が定着した。片山の門下から出た岡本染松は1902年京都大学に,同じく高山正雄は06年九州大学(京都帝国大学福岡医科大学)に,それぞれ法医学講座を開いた。学問としての法医学は,ここに基盤を確立した。今日では,日本にある80の大学医学部あるいは医科大学のすべてに法医学講座が開設され,法医学の教育,研究および鑑定を行っている。いっぽう,日本の科学警察は,その高いレベルで世界に知られる。この分野において,法医学は有用性を発揮している。警察庁に設置されている科学警察研究所をはじめ,各都道府県の警察本部にある科学捜査研究所あるいは犯罪科学研究所において,法医学はその一翼を担う。ここでは法医学的研究のほか,血痕や毛髪からの血液型判定,尿,精液斑その他の人体資料の分析など,法医学の実際面への適用が行われている。
法医学が社会に果たす役割のうち,最も重要なものは鑑定(法医鑑定)である。法医学を応用医学と位置づけ,あるいは鑑定の学とする考えも,ここに由来する。鑑定は,法律の関与する社会事象において,医学的な問題点に対して,医学の学識と経験とを適用し,これに判断を示し,解答を与えることである。裁判官,検察官,弁護人あるいは警察官が必要とした場合に,命令や嘱託にもとづき行われ,裁判や捜査の公正な進行を助ける。鑑定を行う者を,法律用語で鑑定人という。裁判所からの場合,鑑定人はあらかじめ法廷において,良心に従い鑑定を遂行する旨の宣誓を行う。法医学において鑑定の対象となるのは,通常,死体,生体,物体の3種類である。
法医学の分野で今日最も頻度の高い鑑定で,死体の発見等に際して解剖を行う鑑定である。通常この種の鑑定は,事件を管轄する警察署から,その地域に所在する大学の法医学教室のスタッフに対して嘱託される。解剖に先立って,警察側からは鑑定人に対して,必ず〈鑑定処分許可状〉が提示される。これは,裁判官の発行するもので,鑑定人と死体とを特定のうえ,鑑定の目的で死体解剖を行うことを許可する令状である。すなわち解剖鑑定は,外観上は所轄警察からの依頼により直ちに行われる形をとるが,実際には裁判所の許可なくしてはいっさい行えない性格のものである。許可状なしにこの種の解剖を行った場合には,刑法の死体損壊罪を構成する。
鑑定を行うべき事項は,鑑定嘱託書に記載のうえ提示される。代表的な項目として次のものがある。(1)死因 死者が死に至った直接の原因。(2)死亡の種類 その死が他殺か自殺か,あるいは病死等であるか。すなわち,第三者の故意や過失による死で捜査を行う必要があるものか否か。(3)死亡推定時刻 この項目は,死後経過時間として問われることもある。(4)血液型 主として死者のABO式血液型。腐敗などにより死体から血液が採取できない場合には,毛髪,つめ,骨などから判定される。(5)損傷の有無。あればその部位,程度,個数 身体のどこに,どのような形態や性状の損傷が,いくつ存在するか。写真とともに記述されることが多い。(6)成傷器の種類 損傷はどのような物体(凶器)により生じたか。殺人事件等において,物的証拠との関連で重要である。(7)毒物の有無およびその量 死者の血液,尿あるいは胃内容物等から,中毒性物質が検出されるか否か。通常は,代表的な中毒物質あるいは一定の枠内の物質について検定される。あらゆる毒物について,その有無を確定することは,実際上困難である。(8)その他参考事項 いずれの嘱託事項にも該当しないが,解剖検査の結果,嘱託者側に役立ちそうな特異な所見が見いだされた場合の,いわば補助項目。その他,死者の性別や推定年齢,嬰児死体における成熟度や生産・死産の別などがある。これらの項目は,発生した事案の内容に応じて適宜組み合わされたうえ,嘱託書に記載される。
法医学鑑定における死体解剖は,多くの場合,大学の法医学教室にある剖検室において行われる。交通の便等の事情によっては,発生場所の近くに所在する病院の剖検室等が使用される。いずれにせよ,死体の解剖のみでは,鑑定事項に関して十分な判断材料が得られないことがある。このような場合,現場の状況を直接観察し,あるいは撮影された写真により把握することは,正確な判断を下す出発点となりうる。以上は,死体を対象とする鑑定で,ほとんどが刑法に関連したものである。
生きた人間を対象とする法医鑑定で最も多いのは,親子関係に関しての民事鑑定である。これは,子を原告,その母を法定代理人としたうえ,特定の男性を被告として,子との間に父子関係の存在を主張し,認知や養育費等を請求する形での訴えが多い。通常は家庭裁判所から嘱託される。血液型のような遺伝のしかたが明らかにされている形質が,子と男性との間に,遺伝形式に合致して検出されるか否かで判定する。遺伝のルールに合わない場合,その親子関係は明確に否定しうるが,逆に合致した場合には,まったくの他人どうしの間でも,たまたまそのような結果を生じることがありうるため,一般に親子関係の積極的な肯定は不可能である。このような場合には,多数の検査項目の結果を統計的に処理することにより,親(父)らしさの確率を算出して回答することとなる。鑑定資料としては,赤血球,白血球,血清などが用いられる。その他,生体における損傷を対象として,その発生機転や発生の時期などについて,鑑定を行うこともある。
→親子鑑別
おもな鑑定の内容は,大きく血液型判定等の個人識別と毒物分析とに分けられる。前者に関しては,血痕,毛髪,精液斑あるいは唾液痕などが対象となる。後者の毒物については,尿や胃内容物(吐物)があげられる。近年,科学警察の発展により,これら物体鑑定は特別な場合を除き,警察内部にある科学捜査研究所等で行われる。個人識別に重要な指紋の検査も,同様に現場での鑑識活動の一環として扱われる。物体鑑定に関しては,資料として提示された物体の真正性や,時間経過による変性の可能性等,鑑定以前の問題が論議の対象となることがある。法廷に提出された鑑定について,当事者に不満のある場合には,再鑑定の制度が利用される。死体に関する鑑定では,火葬等により再鑑定時に資料がすでに消滅していることがある。このような場合,再鑑定を行う者は,まったく新たに解剖検査からやり直すことは不可能で,原鑑定者が作成した鑑定書やその他の参考資料を通じてのみ,作業を進める。いわば書類を対象とした鑑定である。したがって,この種の再鑑定が,ある程度の制約を受けることは避けられない。最終的な判断は裁判官にゆだねられる。
法医学は,犯罪医学と深い関係をもつが,これと同一ではない。すなわち,刑法の領域のみには限定されない。しかし,日本の法医学は,歴史的にも死体解剖による刑事鑑定を主体として発展してきた。この傾向は,法医学の実務面での主流として,今後も続くであろう。殺人や傷害・過失致死事件がますます巧妙化,複雑化するなかにあって,法医学の活躍が一段と期待されるが,他面,新しい分野からの要請も近年増えつつある。それは生体に関するものや民法にかかわる鑑定である。生体を対象とするものの代表である親子鑑定については,遺伝学的な研究が進むにつれ,検査項目は拡大し,判定の確度も高まってきている。社会生活の変化に伴う事例数の上昇も加わって,今後一段と重要性が認識されるものと思われる。また,このところ増加の著しい医療事故やこれに伴う訴訟において,医学的な判断は必須で,とくに患者が死をきたしたような事例において,法医学鑑定は刑事・民事両面にわたり,大きな役割を果たす。事故や災害における補償および民事訴訟での損害賠償で,死因あるいは身体障害の発生機転やその度合が問題となる場合,法医学的判断は重要な根拠となる。刑事事件以外にも,このような分野での知見の活用が期待される。近年日本で大きな議論を呼んだ脳死の問題は,死が単なる生物学的な現象にとどまらず,法的あるいは社会的な意義を伴うだけに,重要な法医学的側面を含んでいる。死の定義はもとより死の判定方法においても,医と法の二つの領域をカバーする法医学の視点は欠かせない。また〈臓器の移植に関する法律〉の制定(〈臓器移植〉の項目参照)により日本も本格的な臓器移植の時代を迎えたが,臓器を提供する脳死者に対して検死を要請されるケースも予想される。移植の実施と法医学の実務遂行とは時に利害が相反する関係にあり,法医学者に課せられた役割も大きい。
以下,鑑定の実際を〈死亡時刻推定〉を例にとって説明する。死体を対象とした鑑定において,死因の判定と並んで最もしばしば嘱託される事項の一つに,死亡時刻の推定がある。死亡時期を確定することは,二つの意義をもつ。一つは,もしその死が犯罪に由来するものである場合には,犯行時刻とのからみで,捜査や訴訟に欠かせない。二つには,死の確定は社会人としての生存の消滅を意味するだけでなく,法律上の自然人としての存続の終了を宣告することでもある。死の発生とともに,人の権利および義務は法的に異質の扱いとなり,また相続の問題も生じてくる。死亡時刻の少しのずれが,第三者の利害に大きく結びつくこともありうる。ところが,この死亡時期の判定は,法医鑑定上,最もむずかしい事項でもある。死亡と同時に,人体では諸種の死後変化(死体現象)がスタートする。この変化は,一般に時間経過とともに度合を強める。したがって,変化の程度を観察して,その観察時点(通常は解剖の開始時点)からどれほどさかのぼった時期に死が発生したかを判定するのが,原理である。おもな死体現象として,(1)眼の角膜の白濁,(2)体温の低下,(3)死斑(血液が死体の下面に集まり赤紫色を呈する)の出現,(4)死体硬直(関節が硬くなる)の発生,(5)腐敗現象の進行,などが利用される。しかしこれらの現象は,衣類,気候あるいは現場の状況など,死者のおかれていた環境に大きく左右され,個々のケースで一律でない。最終的には数的な判断(死亡時刻など)が求められているにもかかわらず,ほとんどの死体現象の度合はまだ数値化されておらず,主観的に判定されている。一連の現象が,必ずしも足並みをそろえて進行するとは限らない。これらの事情が,死亡時期の正確な判定を著しく困難にしている。通常は上記の現象にもとづく判定をふまえて,司法側は目撃者の証言や状況証拠などと総合して判断する。最終食事の時刻が明らかな場合には,胃内容物の消化程度から推定することもある。原則として死後,時間が経過するほど諸変化の進行は緩慢となり,その差異が観察しにくくなるため,死後18ないし24時間以上を経過すると,死亡の時期を時刻として明示することは,たいへんむずかしい。以上から,死亡時期の推定に当たっては,一般に,ある幅をもって示さざるをえず,かつその幅は,場合により相当大きなものとなる。現実はなかなかテレビドラマのようにはいかない。
→医学 →血痕反応 →死
執筆者:福井 有公
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
医学は基礎医学と応用医学の二つに大別され、応用医学はさらに3種類(臨床医学、衛生学、法医学)に分類される。応用医学に含まれる法医学とは、法に関する医学的事項を広く研究または応用する社会医学である。
法医学は、さらに基礎法医学と応用法医学とに分けられている。基礎法医学は、法医学の原理、基礎となる事項について研究するものである。したがって、その研究項目はきわめて広い範囲にわたり、血液型学、血清学、中毒学、法医解剖学、法医病理学、法医組織学、犯罪学、心理学、臨床法医学などのほか、医学以外の自然科学に関係する内容も一部含まれる。応用法医学は、法律上の実際問題、または犯罪捜査に医学を応用するもので、いわゆる法医学の実際活動といえる。司法上の応用としては、生体の検査、死体の検査、物体および痕跡(こんせき)検査、現場検査などがある。
[船尾忠孝]
(1)生体の検査 性別、年齢の推定、発育および栄養状態、疾病、損傷の有無、精神状態、詐病(さびょう)(仮病)、匿病(病気を隠す)、作業能力、生殖能力、血液型、指紋、掌紋、足蹠(そくせき)紋、親子関係の有無、姦淫(かんいん)、妊娠、分娩(ぶんべん)、堕胎などの検査をいう。
(2)死体の検査 検屍(けんし)と解剖とがある。死因が不明で、その死因が明らかに犯罪と関係のあるもの、あるいは犯罪と関係があるかどうか疑わしい死体、さらには病死、自然死(老衰)以外の外因死、または両者のいずれであるか不明な場合、すなわち変死体である場合は、それを検屍する。変死であれば、自殺であるか他殺であるか、災害死、過失死であるかを鑑別し、さらに死因、死亡時刻、死亡状況その他を医学的に判断する(検案)。検屍によってこれらのことを明らかにすることができない場合には、死体を解剖する。
(3)物体および痕跡検査 血痕、精液、毛髪、胎便、胎脂、羊水、初乳、吐瀉(としゃ)物、骨、歯、指紋、掌紋、足蹠紋、足痕などの検査をいい、もっとも多いのが血痕検査である。
(4)現場検査 犯罪の行われた場所、または死体の発見された場所を検査することで、現場検証ともいわれている。通常、司法官、警察官が行うが、医学上の知識を必要とする場合には、法医学者または医師が立ち会うことがある。行政上の応用として、行旅死亡者の検屍または身元不明者の個人識別、交通事故、自殺、伝染病および中毒などの場合における監察医制度による行政検屍、行政解剖などがある。
[船尾忠孝]
法律に医学的知識が参酌されたのを広い意味の法医学とすると、西洋の法医学の歴史はきわめて古く、古代ギリシアにまでさかのぼる。また、中国の法医学の歴史もかなり古く、『書経』には法医学に関連する字句がみえる。南宋(なんそう)の宋慈(そうじ)(1186―1249)が『洗冤録(せんえんろく)』を出版したのは1247年であり、これはおそらく世界最古の法医学書であろう。『洗冤録』に次いで、趙逸斉(ちょういっさい)によって『平冤録(へいえんろく)』が著されている。元(げん)になると、王與(おうよ)(1260/1261―1346)が『洗冤録』と『平冤録』を参考にして、1308年『無冤録』を編纂(へんさん)する。この『無冤録』は朝鮮半島を経て、室町時代の終わりに日本に伝来し、やがて、徳川8代将軍吉宗(とくがわよしむね)のときに河合甚兵衛尚久(かわいじんべえなおひさ)によって『無冤録述』2巻が出版されている(1736)。この書は、徳川時代において裁判および犯罪捜査の宝典として重んぜられたものであり、その内容の真偽はともかく、腹上死であるか、あるいはそれをまねたものであるかの判別など、興味深いことが記載されている。ところで、日本における法医学的な伝説は『日本書紀』にまでさかのぼることができる。ここでは、「天照大神(あまてらすおおみかみ)は、月夜見尊(つくよみのみこと)が保食神(うけもちのかみ)を撃ち殺したことを聞くと、天熊人(あめのくまひと)を遣わし、その死体を検(しら)べさせた」とあり、これが検屍の初めともいえよう。
日本に西洋の法医学が入ってきたのは江戸末期であり、1862年(文久2)7月、オランダの軍医ポンペが、長崎伝習所において法医学医事法制を講義したのが最初であるとされている。ついで1875年(明治8)、前年開設された浅草猿屋町の警視庁第五病院に併設された裁判医学校において、デーニッツWilhelm Dönitz(1838―1912)による講義が行われている。彼は1873年に来朝し、東京医学校(東京大学医学部の前身)で解剖学を講じていた人である。さらに1876年に生理学教師として来朝したティーゲルErnst Tiegel(1849―1889)が、当時は学生であった片山国嘉(かたやまくによし)(1855―1931)を通訳として、裁判関係の所員および警視庁医員に訴訟医学を講じている。1878年には、当時、後藤新平が校長であった名古屋医学校でローレッツAlbrecht von Roretz(1846―1884)が、1880年には佐賀病院でデーニッツがそれぞれ裁判医学を開講した。1889年になると、帝国大学医科大学に日本で最初の法医学講座が「裁判医学」の名のもとに設定され、教授は片山国嘉が担当し、この年の4月4日、死因不明の男児屍の司法解剖が行われた。これは日本における司法解剖の第一号である。1891年、裁判医学の名称は法医学と改称され、それ以後、裁判医学教室は法医学教室とよばれるようになった。
[船尾忠孝]
法医学の実際活動のなかでの重要な事項として鑑定がある。これは訴訟事件の審判手続において、裁判所の証拠調べの一種として、特別の学識経験ある第三者の意見を徴して裁判官の知識判断能力の補いとするためのもので、意見を供述する第三者を鑑定人という。また、鑑定は裁判所が命ずる以外に、裁判官、検察事務官、または司法警察員が捜査のために嘱託することがあって、司法解剖はその代表ともいえる。鑑定の結果は、鑑定書とよばれる文書で報告することが多く、口頭で述べることはきわめて少ない。また、訴訟中あるいはその前段階において、特定の医学的事項について弁護士から意見を求められることも多いが、報告に際しては、実質的に鑑定書と同様に処理すべきものである。
[船尾忠孝]
『船尾忠孝著『法医学入門』(1978・朝倉書店)』▽『上山滋太郎・富田功一編『標準法医学・医事法制』(1980・医学書院)』▽『石山昱夫著『法医学ノート』(1978・サイエンス社)』▽『八十島信之助著『法医学入門』(1966・中央公論社)』
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