改訂新版 世界大百科事典 「山王曼荼羅」の意味・わかりやすい解説
山王曼荼羅 (さんのうまんだら)
大津市坂本にある日吉山王社(日吉(ひよし)大社)の神仏や社殿を描いた垂迹(すいじやく)曼荼羅。山王社は神体山である八王子山を背に,東大宮三社と西大宮四社の上七社を中心に成立したが,延暦寺の鎮守として信仰されたため,つねに叡山の影響下で繁栄していた。山王曼荼羅はこのような叡山の宗教社会の中で要請され,山下の里坊や山王六講などの講で鎮守本尊として礼拝された。春日や熊野と同じように,本地仏を描いたもの,垂迹神を示したもの,神体山を背にした社景や個々の社殿に重点を置いたものなど,その形式はさまざまである。遺品は鎌倉時代のものから伝来するが,文献の上では《玉葉》元暦元年(1184)12月2日条に〈日吉社御正体図絵一鋪〉とあるので,平安末期には本地仏曼荼羅の存在が知られる。遺品の上でも本地仏のみを9体並べた生源寺本などがあり,文献と対応する。宮曼荼羅の場合にも大和文華館本のように本地仏を強く意識しているので,山王曼荼羅は本地仏曼荼羅から出発して,春日や熊野などの形式に影響されながらさまざまな種類に展開したとも考えられる。
→垂迹美術
執筆者:川村 知行
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報