山田典吾(読み)ヤマダ テンゴ

20世紀日本人名事典 「山田典吾」の解説

山田 典吾
ヤマダ テンゴ

昭和・平成期の映画監督 現代ぷろだくしょん会長。



生年
大正5(1916)年5月28日

没年
平成10(1998)年5月14日

出生地
東京

学歴〔年〕
日本大学芸術学部卒

主な受賞名〔年〕
文化庁優秀映画奨励賞〔昭和49年〕「太陽の詩」,日本カトリック映画賞(第3回)〔昭和53年〕「春男の翔んだ空」,日本映画テレビプロデューサー協会賞〔昭和59年〕,文化庁優秀映画奨励賞〔昭和49年〕「太陽の詩」

経歴
日大芸術科在学中より田中栄三監督に師事。昭和11年P・C・L映画製作所(のちの東宝)に入社。二度の召集をうけ、20年復員。東宝砧撮影所芸能部長を経て、27年自ら現代ぷろだくしょんを設立。「原爆の子」「村八分」「縮図」等を製作して戦後独立映画運動の推進者のひとりとなる。同年「夜明け前」でプロデューサーとしてデビュー。その後監督に進出、49年の「太陽の詩」で文化庁優秀映画奨励賞を受賞。「はだしゲン」「裸の大将放浪記」「死線を越えて」「春男の翔んだ空」などを監督。平成元年「国会議員を半分に減らす会」から名簿2位で参院選比例区に立候補したが落選

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「山田典吾」の解説

山田典吾 やまだ-てんご

1916-1998 昭和-平成時代の映画プロデューサー,監督。
大正5年5月28日生まれ。東宝砧(きぬた)撮影所芸能部長をつとめたのち独立し,昭和27年現代ぷろだくしょんを設立。「蟹工船」「真昼暗黒」などを製作,独立映画運動をすすめる。のち「はだしのゲン」3部作,「裸の大将放浪記」などを監督した。平成10年5月14日死去。81歳。東京出身。日大卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「山田典吾」の解説

山田 典吾 (やまだ てんご)

生年月日:1916年5月28日
昭和時代;平成時代の映画プロデューサー;監督。現代ぷろだくしょん会長
1998年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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