山田原村(読み)やまだはらむら

日本歴史地名大系 「山田原村」の解説

山田原村
やまだはらむら

[現在地名]洲本市安乎町山田原あいがちようやまだはら

宮野原みやのはら村の西、高倉たかくら(現津名町)の東麓にあり、津名つな郡に属する。北部に赤堂あかんどう(現同上)から西へ向かい郡家ぐんげ(現一宮町)へ至る峠道がある。正保国絵図に村名がみえ、高一三二石余。天保郷帳では高二〇四石余。安乎組に属した。反別戸数取調書によれば反別一九町余、高二九七石余、うち蔵入高一八三石余、一一五石余が森辰之丞ら三名の給知。家数四五・人数二六四。


山田原村
やまだはらむら

[現在地名]有田市山田原

中島なかしま村の西方、有田川北岸にある。八王子はちおうじの山が川に迫って突出し、その西側一帯明神みようじん(三五九・三メートル)西麓扇状地に集落がある。「続風土記」は「山を北に背おひて村居す、是村名の起る所なり」という。西に続く新堂しんどう村とともに近世の有田蜜柑の産地。慶長検地高目録によれば村高一六八石余。天保郷帳では二〇五石余。家数六三、人数二六〇(続風土記)。宮原組に所属。

「続風土記」は村内の社寺として小祠二(天神社・八王子社)法華ほつけ寺・浄土宗鎮西派遍照へんしよう寺、小堂二(阿弥陀堂・地蔵堂)を記す。


山田原村
やまだはらむら

[現在地名]二見町山田原

東は三津に隣している。山田原は「五鈴遺響」に「此地二見郷ノ喉口ニシテ其東南ニ山丘相連綿シテ其間ニ田圃アル地ナルカ故ニ名クナルヘシ」とある。なお外宮の鎮座地山田原と同名である。山田原古墳群がある。建保五年(一二一七)一〇月四日の別当大法師某充行状(御塩殿文書)に「山田原上分田」とある。正慶元年(一三三二)一一月の二宮朝夕御饌料田租支配状(同文書)に「一段 山田原磯部末吉領 一段廿坪同領」「三丈 山田原 卅歩同領」とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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