日本歴史地名大系 「山田市」の解説 山田市やまだし 面積:二二・〇五平方キロ県の中央部やや東寄りに位置し、東は田川郡川崎(かわさき)町、南西部は嘉穂(かほ)郡嘉穂町、北は田川市・嘉穂郡庄内(しようない)町・同郡稲築(いなつき)町と接する。昭和二九年(一九五四)市制施行。市名は古代嘉麻(かま)郡山田郷に由来する。東西三・一八キロ、南北八・九三キロの地域が筑豊盆地の中にあって、東は金国(かなくに)山(四二一・六メートル)・関(せき)の山(三五九・一メートル)・摺鉢(すりばち)山(二一三・二メートル)を含む金国山地、南東部は熊(くま)ヶ畑(はた)山(五三三・三メートル)を含む戸谷(とや)ヶ岳山塊と馬見(うまみ)山山塊、西は山田川を境界として大隈(おおくま)丘陵群、北は鯰田(なまずた)丘陵に囲まれて一小盆地を形成している。河川は熊ヶ畑山に水源を発する山田川(全長一一・九キロ)が市域のほぼ中央部を北西に流れ、稲築町で遠賀(おんが)川に注ぐ。「続風土記附録」の河水記には「漆生川」として記述があり、「源は熊ケ畑より出て、上山田・下山田・平村・岩崎・鴨生・口ノ春・山野・上三緒の内を流れ、下三緒村の前にて、穂波郡飯塚川と一ツになりて、嘉摩・穂波両郡の間をなかる」とある。また「続風土記拾遺」には「河水記に漆生川熊畑より出鴨生村にて桑野川に会する由見ゆ。これ山田川を以て漆生川とせしにて誤りなり。山田川は漆生村の内にかゝらされハ也」とあり、江戸時代末期まで山田川と漆生(うるしお)川が混同されていたようである。道路は国道三二二号が西部から北部へ走り、市街地で県道飯塚―山田線、碓井(うすい)―上山田線と交錯する。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報