山田 正平
ヤマダ ショウヘイ
大正・昭和期の篆刻家
- 生年
- 明治32(1899)年2月1日
- 没年
- 昭和37(1962)年8月16日
- 出生地
- 新潟県
- 旧姓(旧名)
- 木村
- 別名
- 号=一止,一止廬
- 経歴
- 大正7年篆刻家・山田寒山の長女と結婚して養嗣子となる。8年中国に渡り、呉昌碩に師事。14年に刊行された堀口大學の詩集「月下の一群」の奥付印を手がけたことで知られる。父の縁で同郷の歌人・書家の会津八一と親交を持ち、大きな影響を受けた。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
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山田正平 やまだ-しょうへい
1899-1962 大正-昭和時代の篆刻(てんこく)家。
明治32年2月1日生まれ。山田寒山の娘婿となる。大正8年中国にわたり,呉昌碩(ご-しょうせき)にまなぶ。日展審査員。会津八一(あいづ-やいち)と親交があった。昭和37年8月16日死去。63歳。新潟県出身。旧姓は木村。号は一止,一止廬。作品集に「正気印譜」など。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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