山登松和(読み)ヤマト ショウワ

新撰 芸能人物事典 明治~平成 「山登松和」の解説

山登 松和
ヤマト ショウワ


職業
箏曲家(山田流)

肩書
山登4代目家元

本名
佐野

別名
前名=佐野 松秀,山登 松齢

生年月日
明治29年 2月23日

出生地
神奈川

経歴
12歳で失明、兄千里(のち3代目中能島松仙)とともに中能島喜久の内弟子となり、喜久没後の大正3年から兄に学んだ。6年独立、10年佐野松秀の名で琴栄会を主宰、14年兄と春潮会を結成。昭和3年山田流中筆頭名家の山登4代目を継ぎ、松齢を経て7年山登松和と改名三田四国町に住んだため、通称は三田。死後妻愛子が家元を預かり、その養女雅子が5代目家元を継いだ。作曲に「滝」などがある。

没年月日
昭和23年 1月28日 (1948年)

家族
兄=中能島 松仙(3代目)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

20世紀日本人名事典 「山登松和」の解説

山登 松和
ヤマト ショウワ

大正・昭和期の箏曲家(山田流) 山登4代目家元。



生年
明治29(1896)年2月23日

没年
昭和23(1948)年1月28日

出生地
神奈川県

本名
佐野 均

別名
前名=佐野 松秀,山登 松齢

経歴
12歳で失明、兄千里(のち3代目中能島松仙)とともに中能島喜久の内弟子となり、喜久没後の大正3年から兄に学んだ。6年独立、10年佐野松秀の名で琴栄会を主宰、14年兄と春潮会を結成。昭和3年山田流中筆頭名家の山登4代目を継ぎ、松齢を経て7年山登松和と改名。三田四国町に住んだため、通称は三田。死後妻愛子が家元を預かり、その養女雅子が5代目家元を継いだ。作曲に「滝」などがある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「山登松和」の意味・わかりやすい解説

山登松和
やまとしょうわ

[生]1896.2.22. 神奈川
[没]1948.1.28. 東京
山田流箏曲家。山登派家元としては4世。本名佐野均。初名松秀。中能島派の出であるが,1928年山登家に迎えられて4世を継ぎ,山登松齢を名のったが,32年3月山登松和と改名。作品に『滝』などがある。没後は妻愛子 (1897~1980) が5世家元を預っていたが,その養女雅子 (1939~ ) が5世を継承した。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「山登松和」の解説

山登松和 やまと-しょうわ

1896-1948 大正-昭和時代の箏曲(そうきょく)家。
明治29年2月23日生まれ。中能島(なかしま)欣一の母喜久にまなぶ。山登家にはいり,昭和3年山田流山登家4代家元をつぐ。昭和23年1月28日死去。53歳。神奈川県出身。本名は佐野均。初名は松秀。前名は松齢。作品に「滝」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の山登松和の言及

【山登派】より

…初名松秀。兄の千里とともに中能島派の中能島喜久に師事,兄は中能島家を継いで松仙と称し,均は山登家に迎えられ,1928年に4世山登を襲名,山登松齢を称したが,32年山登松和と改めた。没後は,妻愛子(1897‐1980)が家元を預かったままとなっていた。…

※「山登松和」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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