山田流(読み)やまだりゅう

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

山田流
やまだりゅう

箏曲の流儀名。山田検校を始祖とする流派で,江戸を中心に発展してきた。安永年間 (1772~81) 頃山田検校が河東節などの浄瑠璃の曲風を箏曲に取入れるなどして,組歌形式によらない歌曲本位の箏曲を作り出した。組歌を中心とする箏曲とはまったく異質なものであり,そのレパートリーや使用楽器の相違などから他流全部と対立するものになった。地歌三弦曲を箏曲化したものも演奏されるが,原則として山田流独自の曲では,平駒,平撥 (ひらばち) による長唄などと同様の三味線を用い,地歌移曲物の演奏には,現在では台広駒,津山撥を用いる。山田検校以後,山登,山木,山勢,小名木から中能島 (なかのしま) ,奥村から上原などの各派に分れ,さらにその派のなかで,それぞれ数家の家元が立てられている。

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デジタル大辞泉の解説

やまだ‐りゅう〔‐リウ〕【山田流】

箏曲(そうきょく)の流派の一。安永(1772~1781)ころに、生田流を学んだ江戸の山田検校創始。生田流の、三味線本位に対し本位、器楽本位に対し声楽本位の語り物風な箏曲で、江戸を中心に流行した。今日でも、関東地方を中心に広く行われ、関西の生田流と勢力を二分している。

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百科事典マイペディアの解説

山田流【やまだりゅう】

箏曲の流派の一つ。18世紀後半,江戸で山田検校が創始。当初は〈吾嬬(あずま)ことうた〉と称し,浄瑠璃風の節付や手付による新傾向の箏曲として,18世紀末ごろには江戸の代表的音曲の一つとなった。箏数面と三味線一挺の編成を基本とし,独唱・斉唱を交えた歌い分けを行うのが特色。三味線は撥・駒を含めて,長唄などに近い形のものを用い,箏は丸爪を用いる。流祖の作品(〈作歌(さくうた)〉)および代々の山田流箏曲家によって創作された作品群がレパートリーの主体をなすが,関西系の地歌・箏曲の作品の一部も取り入れられる。関西を中心とする生田流に対し,関東を中心に伝承が行われた。
→関連項目上原真佐喜近江八景岡康砧河東節小督曲長恨歌曲中能島欣一中能島検校松風山勢松韻山登検校

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デジタル大辞泉プラスの解説

山田流

試(ためし)剣術の流派のひとつ。江戸・小伝馬町で、代々斬首刑の執行役を担ってきた山田一族により伝承された技。初代・山田浅右衛門貞武(さだたけ)以降、当主は浅右衛門を名乗り、明治初期に試し斬りが禁じられ、死刑が絞首刑に切り替わるまで、御様(おためし)御用の役を務めた。

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世界大百科事典 第2版の解説

やまだりゅう【山田流】

箏曲の流儀名。18世紀末,江戸において山田検校が,江戸浄瑠璃風の箏曲を創始,その門流を後年山田流と称した。山田検校以降,山登派山木派山勢派,小名木派(中能島派)などの派も生じ,それぞれ家元となった。さらに奥村真佐古,上原真佐喜なども山田流に属し,山勢派の高橋栄清をはじめ,独立して家元となるものも増え,現在では30家以上の家元を生じている。 なお,山田流箏曲といえば,狭義には,山田検校以来の代々の山田流の箏曲家が流祖の作風にならって創作したものを指し,河東節,一中節富本節などからの移曲や,それらとの掛合も含まれる。

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大辞林 第三版の解説

やまだりゅう【山田流】

箏曲の流派。生田流とともに箏曲界を二大分する。一八世紀後葉の江戸で生田流から独立した山田検校が創始。生田流の三弦重視・器楽本位の傾向に対して、箏重視・声楽本位の傾向が強い。生田流の角爪に対して丸爪を使用。江戸を中心に発展、今日でも東日本に勢力がある。 → 生田流

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

山田流
やまだりゅう

山田検校(けんぎょう)(1757―1817)を始祖とする箏曲(そうきょく)の流派。寛政(かんせい)・享和(きょうわ)年間(1789~1804)ごろに円熟した山田検校の作風は、それまでの江戸の生田(いくた)流を圧倒し、一大勢力をなした。山田検校没後、1861年(文久1)門弟の千代田検校が山田霊神小祠を江戸惣録(そうろく)屋敷内に建立、同時に山田流という流名をたてたらしい。山田流箏曲は、河東(かとう)節、一中(いっちゅう)節、富本(とみもと)節など江戸の諸浄瑠璃(じょうるり)を取り入れ新様式の歌曲を創始した。浄瑠璃との掛合い演奏をするいわゆる浄瑠璃物や、曲中の聞かせどころを各奏者が分担独唱する歌い分けがある一方、箏(こと)を主奏楽器とし、三絃(さんげん)は付随的であるという面で、三味線音楽を箏曲化したものといえる。ただし、山田流においても箏独自の箏組歌や段物の演奏も行われ、地歌移曲箏曲も演奏されるが、箏の調弦と旋律が異なる曲もある。なお、生田流の角爪(かくづめ)に対し、山田流は丸爪と素箏(すごと)仕立ての箏を使用する。また、山田流独自の曲を演奏する場合の三味線は、江戸声曲と共通する平駒(ひらごま)・平撥(ひらばち)を用い、手事(てごと)物および地歌移曲の演奏の場合は、台広(だいびろ)駒・津山撥を用いる。
 山田流創立後、その門弟の山登(やまと)、山木(やまき)、山勢(やませ)、小名木(おなぎ)の各検校は、各家の名を襲名させる家元制度をとり、ここから山田流各派が生まれたといわれる。さらに各派は細かく分家し、現在では各派数名ずつの家元が存在する。おもに関東を中心に勢力をもち、西は静岡県(関西でも一部行われている)から北は東北地方にまで及ぶ。なお、山田流で重要無形文化財保持者に認定された人には、越野栄松(こしのえいしょう)(1887―1965)、中能島欣一(なかのしまきんいち)(1904―84)、2世上原真佐喜(まさき)(1903―96)、中田博之(なかだひろゆき)(1912―2000)、3世山勢松韻(やませしょういん)(1932― )がいる。[平山けい子]

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世界大百科事典内の山田流の言及

【箏曲】より

…流行歌謡の〈弄斎(ろうさい)節〉を箏曲化した〈弄斎物〉の楽曲とともに,すべて組歌の〈付物(つけもの)〉として扱われる。 寛政(1789‐1801)ころに,江戸の山田検校は,当時の江戸で盛行していた三味線音楽の河東節や一中節などの歌浄瑠璃に対して,これを箏曲化したといえる新歌曲を創始,〈吾妻箏歌(あづまことうた)〉と称したが,後世〈山田流箏曲〉と称するようになった。江戸では,三橋系の生田流の伝承のみ行われていたので,あたかも生田流に対立する新流を起こしたかの感があるが,山田流は,それまでの主として組歌の伝承組織上の相違に基づく流儀別とはまったく異質で,むしろ新種目といえるものである。…

【日本音楽】より

…その孫弟子生田検校が,地歌三味線曲に箏を合わせることを始めたと伝えられるが,早くから箏曲は地歌と結合して発達した。江戸時代中期には山田流箏曲が江戸に誕生した。浄瑠璃風を加味した歌本位にした点と,伴奏を箏本位にした点に特色がある。…

【山木派】より

…箏曲の流派および芸系。山田流の一派。山木姓の家元を中心とする派をいう。…

【山勢派】より

…箏曲の流派および芸系。山田流の一派。山勢姓の家元を中心とする派をいう。…

【山田検校】より

…盲人音楽家。箏曲山田流の祖。都名(いちな)は斗養一。…

【山登派】より

…箏曲の流派および芸系。山田流の一派であって,山登姓の家元を中心とする派をいう。 初世山登(1782‐1863∥天明2‐文久3)は,江戸で,山田検校の《江の島の曲》の作詞者とも伝えられる高木与兵衛(百泰)の子として生まれる。…

※「山田流」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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