山科言経(読み)やましなときつね

日本大百科全書(ニッポニカ) 「山科言経」の意味・わかりやすい解説

山科言経
やましなときつね
(1543―1611)

戦国末から江戸初期の公家(くげ)。言継(ときつぐ)の子。1577年(天正5)権中納言(ごんちゅうなごん)となるが、1585年勅勘を被り京都を去って堺に居住豊臣秀吉、秀次、徳川家康らに働き掛け、1597年(慶長2)ようやく勅免となる。その後1602年山科家として最高の正二位(しょうにい)に叙せられた。有職故実(ゆうそくこじつ)のほか医学にも通じ、日記に『言経卿記(ときつねきょうき)』がある。

[今岡典和]

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「山科言経」の解説

山科言経 やましな-ときつね

1543-1611 織豊-江戸時代前期の公卿(くぎょう)。
天文(てんぶん)12年7月2日生まれ。山科言継(ときつぐ)の次男有職(ゆうそく)故実医薬に通じる。権(ごんの)中納言。天正(てんしょう)13年勅勘をうけ,本願寺の顕如らをたよって摂津にうつったが,慶長3年ゆるされた。正二位。日記に「言経卿記」。慶長16年2月27日死去。69歳。

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367日誕生日大事典 「山科言経」の解説

山科言経 (やましなときつね)

生年月日:1543年7月2日
安土桃山時代;江戸時代前期の公家
1611年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の山科言経の言及

【公卿補任】より

…摂政・関白以下参議以上の現官と,三位以上の有位者を列挙した公卿の名簿。現在広く用いられている《国史大系》所収の本書は,神武天皇より持統天皇までは代ごとに,文武天皇以降(697以降)は年ごとに列記して明治1年(1868)に及んでいる。各人につき,本官・位階・年齢・兼官などを注し,初出の個所には,父母と公卿に至るまでの経歴をまとめて載せる。本書の成立の経緯は明らかでないが,平安中期にはすでに現在の形に近いものが作成され,廷臣の間で利用されていたことが,《小右記》などの記録によって知られる。…

【言経卿記】より

…山科言経の日記。1576年(天正4)より1608年(慶長13)に及ぶ。…

【山科家】より

…藤原北家房前(ふささき)の男魚名の後裔で,四条家の支流に当たる。すなわち四条中納言家成の六男権中納言実教(さねのり)(1150‐1227)を祖とする。後白河法皇の寵妃丹後局(高階栄子)の子教成(のりしげ)(1177‐1239)は法皇の信任が厚く,勅旨により四条実教の嗣子となり,丹後局の山科の別業を譲られ,子孫は同所に住んだが,南北朝時代の中ごろ,教行のときから地名にちなんで山科を姓とするようになった。…

※「山科言経」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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