改訂新版 世界大百科事典 「言経卿記」の意味・わかりやすい解説
言経卿記 (ときつねきょうき)
山科言経の日記。1576年(天正4)より1608年(慶長13)に及ぶ。ただし天正5,6,8,9年の4ヵ年を欠く。自筆原本35冊が残っている。言経は1586年6月勅勘を被り,家族・一族とともに京都を出奔,5年余を摂津中島に寓居した。妻の縁からの興正寺の昵懇(じつこん)によるもので,91年本願寺,興正寺が京都に移転すると,言経一族も帰京して六条寺内に住んだ。徳川家康や豊臣秀次からも扶持を受けたが,勅勘を解かれたのは1589年12月に至ってである。公卿でありながらもっぱら市井にあって主として医業をもって渡世したので,本日記は市井の中の生活記録として,社会,風俗,年中行事,文芸などについての貴重な記載を多く残している。《大日本古記録》所収。
執筆者:橋本 政宣
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報