山野忠彦(読み)ヤマノ タダヒコ

20世紀日本人名事典 「山野忠彦」の解説

山野 忠彦
ヤマノ タダヒコ

昭和・平成期の樹医 日本樹木保護協会名誉会長。



生年
明治33(1900)年

没年
平成10(1998)年9月25日

出生地
大阪府大阪市

学歴〔年〕
善隣商(旧朝鮮)卒

主な受賞名〔年〕
朝日森林文化賞(自然保護奨励賞 第4回)〔昭和61年〕,吉川英治文化賞(第22回)〔昭和63年〕,関西大賞(さわやか賞 第3回)〔昭和63年〕,みどりの日功労賞〔平成2年〕

経歴
3歳で京城へ。山林鉱山などを経営したが、昭和21年無一文で引き揚げ。荒れるにまかせた神社仏閣古木の多いのに気づき、33年より樹木保護の道に。独学薬剤土壌を研究し、35年日本樹木保護協会を設立、会長。44年から全国治療行脚に出て金沢・兼六園、奈良法隆寺の松、大阪・御堂筋のイチョウ並木、広島の被爆エノキなどの古木、名木1200本を青々とよみがえらせ、“樹医”を名乗る。著書に「木の声がきこえる」がある。平成元年写真家・根岸佐千子による“樹医”の写真展が開かれた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「山野忠彦」の解説

山野忠彦 やまの-ただひこ

1900-1998 昭和後期-平成時代の樹医。
明治33年6月25日生まれ。中央大中退ののち,朝鮮で山林を経営。戦後,大阪市の公園管理などにたずさわり,樹木の治療技術を研究。みずから樹医を名のり,静岡県「熊野の長藤」,奈良「法隆寺の松」など,全国の1200本以上の名木,古木の治療にあたった。昭和63年吉川英治文化賞。平成10年9月25日死去。98歳。大阪出身。著作に「木の声がきこえる」。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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