山鹿泰治(読み)ヤマガ タイジ

20世紀日本人名事典 「山鹿泰治」の解説

山鹿 泰治
ヤマガ タイジ

大正・昭和期のアナキスト,エスペランティスト



生年
明治25(1892)年6月26日

没年
昭和45(1970)年12月6日

出生地
京都府京都市

学歴〔年〕
京都府立一中〔明治40年〕中退

主な受賞名〔年〕
世界平和運動功労者表彰〔昭和35年〕

経歴
明治40年家出して上京、出版社有楽社に住み込んで日本エスペラント協会無給書記となった。43年築地活版所に転職し、この頃大杉栄を知る。45年満州に渡り、満鉄大連発電所に勤務。大正3年中国のアナキスト師復を訪問し、民声社に協力。同年9月帰国。8年エスペラント文「時の福音」秘密出版で投獄され10年出獄。11年ベルリンのアナキスト大会に出席する大杉栄のために中国人名義旅券の入手。5回の中国訪問で日中のアナキズムエスペラント運動のかけ橋的な役割を果たした。14年第6回メーデー副司会としてデモの先頭に立ち、昭和2年には上海国立労働大学でエスペラントと印刷術を教えた。また大正14年「日エス英支会話と辞書」を発刊し、エスペラント実用書の普及に尽す。戦後23年日本アナキスト連盟国際部を担当、簡易印刷を考案、エスペラント版「平民新聞」を発刊、36年まで続けた。35年インドの戦争抵抗者インター大会に病身を押して参加、大会6日目に世界平和運動功労者として表彰された。沼津市三津に山鹿手稿図書などを集めた「山鹿文庫」がある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「山鹿泰治」の解説

山鹿泰治 やまが-たいじ

1892-1970 大正-昭和時代の社会運動家。
明治25年6月26日生まれ。満州(中国東北部)にわたり,大杉栄のすすめで中国のアナーキズム運動をたすける。大正3年帰国し,大杉らに協力。またエスペラントの教育と普及につとめた。昭和45年12月6日死去。78歳。京都出身。京都府立第一中学中退。著作に「日・エス・支・英会話と辞書」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「山鹿泰治」の解説

山鹿 泰治 (やまが たいじ)

生年月日:1892年6月26日
大正時代;昭和時代のアナキスト;エスペランティスト
1970年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の山鹿泰治の言及

【劉師復】より

…晦鳴学舎は13年8月《晦鳴録》を創刊したが,発禁にあったあと《民声》と改名して澳門(マカオ)で続刊した。そのエスペラント部分の印刷には日本のアナーキスト山鹿泰治も参加した。14年上海で無政府共産主義同志社を結成したが,翌年没した。…

※「山鹿泰治」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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