コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

岡村寧次 おかむらやすじ

3件 の用語解説(岡村寧次の意味・用語解説を検索)

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

岡村寧次
おかむらやすじ

[生]1884.5.15. 東京
[没]1966.9.2. 東京
陸軍軍人。 1904年陸軍士官学校,13年陸軍大学校卒業。関東軍参謀副長,軍事参議官などを歴任。 41年大将。同年7月北支那方面軍司令官。 44年から敗戦まで中国派遣軍総司令官

本文は出典元の記述の一部を掲載しています。

出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
Copyright (c) 2014 Britannica Japan Co., Ltd. All rights reserved.
それぞれの記述は執筆時点でのもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

岡村寧次 おかむら-やすじ

1884-1966 明治-昭和時代前期の軍人。
明治17年5月15日生まれ。関東軍参謀副長,第二師団長などをへて,昭和16年陸軍大将にすすみ,北支那方面軍司令官。19年支那派遣軍総司令官となり,大陸打通(だつう)作戦を指揮した。戦後,中国の戦犯裁判で無罪となった。昭和41年9月2日死去。82歳。東京出身。陸軍大学校卒。

出典|講談社 この辞書の凡例を見る
(C)Kodansha 2015.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

世界大百科事典 第2版の解説

おかむらやすじ【岡村寧次】

1884‐1966(明治17‐昭和41)
陸軍軍人。東京都出身。陸軍士官学校(16期),陸軍大学校卒。1921年ヨーロッパに出張,現地で永田鉄山小畑敏四郎と接触し,以後,欧米列強の水準から立ち遅れた陸軍の近代化と総動員準備のため二葉会などの中堅将校集団を通じて軍改革をはかる。その後,関東軍参謀副長,35年参謀本部第2部長などを経て,38年第11軍司令官として漢口攻略戦に参加。41年大将に進み,44年支那派遣軍総司令官となり敗戦をむかえた。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. 収録データは1998年10月に編集製作されたものです。それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。また、本文中の図・表・イラストはご提供しておりません。

世界大百科事典内の岡村寧次の言及

【三光政策】より

…1940年後半,中国の八路軍は百団大戦と呼ばれる作戦を展開,日本軍に大きな打撃を与えた。新任の岡村寧次北支方面軍司令官(中将)は,日本軍の作戦重点を国民党軍から共産党軍に移す方針を打ち出し,共産党の指導するすべての根拠地の周辺に対し,徹底した掃討戦を行った。〈燼滅とは,敵性ありと判断される村落をことごとく――家屋,畜類はもとより住民までも殺戮し,焼き払ってしまい,敵地区との間に無人地帯を設定するのが作戦の主目的であった〉といわれる。…

※「岡村寧次」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. 収録データは1998年10月に編集製作されたものです。それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。また、本文中の図・表・イラストはご提供しておりません。

岡村寧次の関連キーワード牛島満陸軍士官学校士官学校鈴木孝雄南部辰丙西原茂太郎仁田原重行野口坤之山田忠三郎アメリカ合衆国陸軍士官学校

今日のキーワード

日本政策投資銀行

1999年に日本開発銀行と北海道東北開発公庫を統合し、発足した政府系総合政策金融機関。一般の金融機関が行なう金融などを補完・奨励し、長期資金の供給などを行ない、日本の経済社会政策に金融上で寄与していく...

続きを読む

コトバンク for iPhone

岡村寧次の関連情報