岩下方平(読み)いわしたほうへい

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「岩下方平」の意味・わかりやすい解説

岩下方平
いわしたほうへい

[生]文政10(1827).3. 鹿児島
[没]1900.8.15. 東京
明治初期の外政家。薩摩藩士で通称は佐次右衛門。藩の精忠組に属した。生麦事件のとき,藩家老の代理としてイギリスとの交渉に加わり,慶応2 (1866) 年には,同藩の海外密航留学生として渡仏。帰国後,王政復古に際して参与となり,明治1 (68) 年,新政府外国事務掛,大阪府判事を歴任して,攘夷事件など困難な外交交渉に尽力翌年,刑法官判事に転じ,さらに京都留守官の次官となる。同3年,京都府権知事,のち大阪府大参事を歴任。 1878年元老院議官。 87年子爵。 90年貴族院議員。

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新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「岩下方平」の解説

岩下 方平
イワシタ マサヒラ


肩書
貴院議員,鹿児島藩藩士,子爵

生年月日
文政10年3月15日(1827年)

経歴
薩摩鹿児島藩士として生麦事件、パリ万博で気骨ある外交手腕を発揮。維新後は大阪府判事、京都府権知事を経て、明治11年元老院議官。23年貴族院議員に選出

没年月日
明治33年8月15日

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「岩下方平」の解説

岩下方平 いわした-まさひら

1827-1900 幕末-明治時代の武士,官僚
文政10年3月15日生まれ。薩摩(さつま)鹿児島藩士。薩英戦争の講和談判の正使をつとめる。慶応元年家老。2年パリ万国博に藩の使節として渡仏。王政復古後,藩を代表して参与となる。のち大阪府大参事などをへて,明治11年元老院議官,23年貴族院議員。明治33年8月15日死去。74歳。通称は左次右衛門。名は「みちひら」ともよみ,別に方美とも。

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