デジタル大辞泉
「石井露月」の意味・読み・例文・類語
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いしい‐ろげつ【石井露月】
- 俳人。本名、祐治。子規の指導を受け「日本派」の一翼となる。雑誌「俳星」を創刊。句集に「露月句集」、文集に「蜩(ひぐらし)を聴きつつ」がある。明治六~昭和三年(一八七三‐一九二八)
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
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石井露月
いしいろげつ
(1873―1928)
俳人。本名祐治(ゆうじ)。秋田県河辺郡戸米川村(現秋田市)に生まれる。秋田中学中退。上京して正岡子規(しき)の知遇を得、『小日本』『日本』記者となり、俳句に導かれた。子規は河東碧梧桐(かわひがしへきごとう)、高浜虚子(きょし)と並び「警抜」と評した。1898年(明治31)医師試験に合格し帰郷。『俳星』を創刊して日本派を普及、医業のかたわら青年たちを指導した。死後『露月句集』(1931)、文集『蜩(ひぐらし)を聴きつゝ』(1935)が出た。
[福田清人]
秋立つか雲の音聞け山の上
『福田清人著『俳人石井露月の生涯』(1949・講談社)』
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
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石井 露月
イシイ ロゲツ
明治〜昭和期の俳人
- 生年
- 明治6年5月17日(1873年)
- 没年
- 昭和3(1928)年9月18日
- 出生地
- 秋田県河辺郡戸米川村
- 本名
- 石井 祐治
- 別名
- 号=柿八
- 学歴〔年〕
- 秋田中学〔明治24年〕中退,済生学舎修了
- 経歴
- 明治26年文学を志し上京。小日本、日本などの記者を経て、医師となり、郷里で開業。この間、正岡子規に知られ、「秋田新聞」「ホトトギス」などに寄稿、33年に島田五空らと俳誌「俳星」を創刊した。東北の風土に即した壮大な俳風は奥羽調と名付けられ、死後「露月句集」のほか、文集「蜩を聴きつゝ」が編まれている。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
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石井露月 いしい-ろげつ
1873-1928 明治-昭和時代前期の俳人。
明治6年5月17日生まれ。上京して明治27年から正岡子規に師事し,新聞「日本」の記者となる。のち医師試験に合格し,秋田で開業。33年島田五空らと「俳星」誌を創刊,子規の日本派俳風をひろめた。昭和3年9月18日死去。56歳。秋田県出身。秋田中学中退。本名は祐治。
【格言など】草枯や海士(あま)が墓皆海に向く
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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石井 露月 (いしい ろげつ)
生年月日:1873年5月17日
明治時代-昭和時代の医師;俳人
1928年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
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