日本歴史地名大系 「岩戸寺村」の解説 岩戸寺村いわとじむら 大分県:東国東郡国東町岩戸寺村[現在地名]国東町岩戸寺来浦(くのうら)村の西方に位置し、来浦川が流れる。川沿いに西へ進むと文珠(もんじゆ)山と千灯(せんどう)岳の間の水谷(みずたに)峠に至る。その手前の溜池山口(やまぐち)池に近く山口集落がある。小倉藩元和人畜改帳に佐藤・横山二氏の知行分として村名がみえ、高三四八石余で、家数六〇のうち本百姓・小百姓一二、隠居・名子・庭屋・牛屋など四五、鍛冶・大工各一、男五二(うち名子一)・女四六、牛一五・馬一。正保郷帳では来浦庄に属し、田高一四二石余・畑高七四石余で、新田が開かれているほか、茅山・柴山があり、日損所と注記される。寛文二年(一六六二)の検地帳(吉武家文書)によれば、田方一三町六反余(うち上々田二町五反余・上田五町七反余)・一九〇石余、畑方二四町八反余、名請人四五人のうち一町以上を所持する百姓は一四人(最大は庄屋五郎兵衛の五町七反余)、一反以下は九人となっている。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報