岩村高俊(読み)イワムラ タカトシ

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「岩村高俊」の解説

岩村 高俊
イワムラ タカトシ


肩書
貴院議員(勅選),宮中顧問官

別名
通称=精一郎

生年月日
弘化2年11月10日(1845年)

出生地
土佐国幡多郡宿毛(高知県)

経歴
慶応3年上洛、坂本龍馬らの暗殺者とされる三浦久太郎を陸奥宗光ら16人で襲撃。明治元年戊辰戦争に東山道総督府軍監として信越奥羽転戦。維新後宇都宮、神奈川県各権参事、明治7年佐賀県令となり、江藤新平の乱(佐賀の乱)を鎮定、同年愛媛県令。以後内務省大書官、石川、愛知、福岡、広島の県令・知事を歴任。25年勅選貴院議員、31年宮中顧問官となる。29年男爵

没年月日
明治39年1月3日

家族
息子=岩村 透(美術評論家) 兄=岩村 通俊(男爵・貴院議員) 林 有造(衆院議員)

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

朝日日本歴史人物事典 「岩村高俊」の解説

岩村高俊

没年:明治39.1.3(1906)
生年:弘化2.11.10(1845.12.8)
明治期の内務官僚,政治家。岩村通俊,林有造は実兄。慶応3(1867)年,上京して勤王運動に参加,4年1月,紀州(和歌山)藩牽制の高野山挙兵に加わる。戊辰戦争では東山道先鋒総督軍監,越後総督府軍監として軍功あり,賞典禄200石。戦後,宇都宮県・神奈川県権参事,明治7(1874)年佐賀県権令に転じ佐賀の乱鎮定に功あり,台湾出兵善後処置で全権弁理大臣大久保利通に従い北京出張。以後,内務省5等出仕,愛媛県令,内務省大書記官,石川・愛知・福岡・広島の県知事を歴任,29年男爵。25年貴族院勅選議員,没年まで勤めた。

(福地惇)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「岩村高俊」の解説

岩村高俊 いわむら-たかとし

1845-1906 幕末-明治時代の武士,官僚
弘化(こうか)2年11月10日生まれ。岩村通俊(みちとし),林有造の弟。土佐高知藩士。戊辰(ぼしん)戦争では軍監として北陸・東北に転戦。明治7年佐賀県権令(ごんれい)となり佐賀の乱を鎮圧。のち愛知県令,福岡・広島県知事などを歴任。貴族院議員。明治39年1月4日死去。62歳。通称は精一郎。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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