日本大百科全書(ニッポニカ) 「岩松経家」の意味・わかりやすい解説
岩松経家
いわまつつねいえ
(?―1335)
鎌倉後期の武将。政経(まさつね)の子。上野(こうずけ)国(群馬県)新田荘(にったのしょう)岩松郷を名字の地とする在地領主で、新田氏有力庶子家。1333年(元弘3・正慶2)本宗家惣領(そうりょう)の新田義貞(よしさだ)に従って鎌倉攻めに参加したが、直接の指令は足利尊氏(あしかがたかうじ)より受けていたため、以後尊氏の下に属す。戦功として飛騨(ひだ)国守護職と諸国散在10か所の地頭職を得る。34年には関東廂番(しょうばん)に任ぜられるが、翌35年(建武2)の中先代(なかせんだい)の乱において、武蔵(むさし)国高麗(こま)郡女影原(おなかげはら)(埼玉県日高市)に北条時行(ときゆき)軍と対峙(たいじ)。兄弟たちとともに7月22日敗死した。遺領は岩松直国(なおくに)が相伝。
[海津一朗]