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天文台 てんもんだい astronomical observatory

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

天文台
てんもんだい
astronomical observatory

天文学に関する研究所のうち,実際に天体の観測に従事する施設。その多くは,巨大なドーム内に収納された赤道儀式の望遠鏡子午線観測用の子午儀ないし子午環塔望遠鏡シュミット望遠鏡(→シュミットカメラ),電波望遠鏡などを備えている。

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デジタル大辞泉の解説

てんもん‐だい【天文台】

天体の観測および研究に従事する施設。

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百科事典マイペディアの解説

天文台【てんもんだい】

天体を観測し,天文学を研究する施設。古代インド,中国,エジプトギリシア等で暦や時を定めるという統治上の必要から設置された。中世ではティコ・ブラーエウラニエンボリ天文台が有名。

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世界大百科事典 第2版の解説

てんもんだい【天文台 astronomical observatory】

望遠鏡はじめ諸種の観測器械を使って,天体や宇宙の観測をする施設をいう。観測のほかに,測定・解析用機器や資料,文献を備えて,天文学の諸種の研究を行う天文台も多い。
[天文台の歴史]
 科学史に示されているように,天文学はもっとも長い歴史をもつ科学であり,また国家が国民に暦や時を授けるという統治上の必要に用いられた。そこで天体観測を国家の権威のもとに行うための天文台が設けられた歴史もまた古い。エジプト暦が採用されたのは前4200年ころといわれ,古代エジプトではそれ以前から詳しい天体観測がなされていたことになる。

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大辞林 第三版の解説

てんもんだい【天文台】

大望遠鏡をはじめとする諸器械を備え、常時、天文学上の観測ならびに研究を行う施設。

出典|三省堂
(C) Sanseido Co.,Ltd. 編者:松村明 編 発行者:株式会社 三省堂 ※ 書籍版『大辞林第三版』の図表・付録は収録させておりません。 ※ それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

天文台
てんもんだい
astronomical observatory

天体を観測する装置をもっている施設をいう。かつては星の位置を観測するための小規模な施設も天文台とよび、今日でもアマチュア天文愛好者が個人的につくったり、学校などにつくられる小さな望遠鏡とドームのある施設を天文台とよぶことも多い。しかし、通常、天文台といえば、多数の天文学者や技術者がおり、天体観測装置を使って天体現象を常時、組織的に観測研究し、理論的に解明していく施設をさす。そのため星や地球の位置や動きを観測する子午儀(しごぎ)や子午環(しごかん)、星の光を調べるための大口径望遠鏡などが装置され、データの整理や理論的な計算のためのコンピュータが置かれている。さらに研究をより有効に行うための付属設備として、写真装置・光電装置などの受光装置、星図・星表などを含む図書や資料を備えている場合が多い。[磯部三]

天文台の種類

天文台は、成り立ちや所属の点から、国家的な役割をもつ中央天文台、大学附属の天文台、財団または個人設立の天文台の三つに大きく分けられる。
 天文学はもっとも古くから行われた学問の一つであり、その目的は天体(太陽・月・惑星)の運行を調べ、明らかにすることによって季節を知ることであった。暦の作成は、各国・各時代の為政者にとっては国家を統治していくうえで重要であった。こうした天文学の役割は近世以降も変わらず続いており、各国の天文台で暦が作成されている。1492年にコロンブスがアメリカ大陸を発見して以来、ヨーロッパ各国は世界に航海するようになり、それとともに安全な航海のために星の位置や時刻を精確に定める必要が生じた。こうした目的で建てられた最初の近代的な天文台は1637年のデンマークのコペンハーゲン天文台であった。以後、フランスのパリ天文台、イギリスのグリニジ天文台などが続き、19世紀にはアメリカ海軍天文台や東京天文台(現、国立天文台)が建てられた。これらの天文台はいずれも各国の暦編纂(へんさん)の仕事を担っており、中央天文台的な性格をもつ。
 1687年のニュートンによる「万有引力の法則」の発見により、天体の運行が力学的に実証できるようになり、天体現象は科学的な研究の対象となった。グリニジ天文台のハリーによるハリー彗星(すいせい)の回帰の発見(1705)や、パリ天文台のルベリエによる海王星の予知(1846)などがその好例である。さらに1815年のフラウンホーファーによる太陽スペクトルの観測や、1867年のセッキによる星のスペクトル観測によって恒星の研究が始まった。このような研究的な観測は大学附属の天文台で行われることが多い。アメリカのハーバード大学天文台、イギリスのケンブリッジ天文台、ドイツのハイデルベルク天文台、日本の京都大学の花山(かざん)天文台などはそうした性格をもつ天文台である。
 19世紀末から20世紀初めにかけて、アメリカで相次いで個人や財団の寄付による天文台が生まれた。リック天文台、ヤーキス天文台、マクドナルド天文台、ヘール天文台などがその例である。しかし天文学の進展につれて、一個人だけの寄付のみで天文台を運営することが困難なほど規模が拡大し、今日では大学附属や国立の天文台に移行している場合が多い。
 天文学の多様化に伴い、各天文台の性格も固定的でなくなってはいるが、その研究内容から天文台を分類することもできる。
 パリ天文台や日本の国立天文台などはかなり広範囲な分野の観測研究を行っているが、その一方で、研究内容を絞った天文台もある。暦の編纂ではアメリカ海軍天文台や日本の海上保安庁水路部航法測地課で集中的に行われ、地球の運動の研究ではイタリアのカリアリ天文台や岩手県奥州(おうしゅう)市の国立天文台水沢VLBI観測所などが中心である。また1930年にアメリカのジャンスキーKarl Guthe Jansky(1905―1950)による電波観測によって始まった光以外の波長域での観測が1960年以降急速に進み、電波観測を中心とする天文台が誕生した。イギリスのジョドレルバンク天文台やアメリカのグリーンバンクの国立電波天文台、日本の国立天文台野辺山(のべやま)太陽・宇宙電波観測所などがそれである。赤外線観測を中心とするアメリカのワイオミング天文台もある。その他の波長域観測は大気圏外に出なければできないが、人工衛星やロケット、気球を打ち上げてγ(ガンマ)線、X線、紫外線、遠赤外線で観測し、それらのデータを地上に送る方法で観測される。X線では、ハーバード大学天文台が中心になって打ち上げたアインシュタイン衛星、日本の宇宙科学研究所(現、宇宙航空研究開発機構)が打ち上げた「てんま」衛星などがあり、紫外線・赤外線では、アメリカ航空宇宙局による国際紫外線天文衛星、赤外線天文衛星(IRAS)がある。
 従来の天文学では、地上に落下する隕石(いんせき)を除けば、それぞれの天体からくる電磁波の情報しか得ることができなかった。しかし、マリナーやパイオニアなどの惑星間空間を飛ぶ探査機の開発により、それぞれの天体の現場に行って観測できるようになった。こうした探査機も一種の天文台といえるであろう。
 以上にみてきたように、天文学の多様化に伴って天文台(研究所とよぶ場合もある)の種類も多様化しており、天文学と物理学、地球物理学、化学などとの境界の分野の研究所も含まれるようになってきている。[磯部三]

天文台の歴史

非常に古い歴史を有する天文学は、早くから、一方では自分たちが住む世界がどうなっているかという宇宙観(世界観)の問題として哲学的に考察されていたが、他方では昼夜の区別や季節を知るため、とくに遊牧民族や農耕民族の間で天体観測として始まった。初期には天体の方向や角度を決める簡単な装置が考えられた。イギリスのストーンヘンジは太陽の方向を知るために巨石を並べた遺跡である。エジプトや中国ではかなり早い時期に天文台が設けられ、太陽・月・惑星、星座の観測が行われた。メソポタミアのバベルの塔もそうした天文台の一つであった。
 古代の天文観測といえどもかなり高い精度で行われており、日月食の予報なども行われた。このような天文学が古代ギリシアに伝えられ、ソクラテスやプラトンのような宇宙観がつくられた。ギリシア時代にもっとも精力的に天体観測に取り組んだのはヒッパルコスである。彼は紀元前2世紀ごろにエーゲ海のロードス島に天文台をつくり、天体位置の精確な観測を行い、恒星の位置カタログをつくって地球自転軸の首振り運動による恒星の歳差運動を発見した。またそのカタログは後のハリーによる恒星の固有運動の発見にも役だった。
 中国では漢の時代に渾天儀(こんてんぎ)という天体の位置観測の装置がつくられ、次々と新しい暦法が考案された。中国から中央アジアを征服した元(げん)のチンギス・ハンの孫、フラグ・ハンは中央アジアのマラゲに天文台をつくり観測させた。またフビライ・ハンが1280年につくった北京(ペキン)の天文台の観測装置は当時のヨーロッパのものより優れており、その観測結果はルネサンス以降のヨーロッパの天文学に大きな影響を与えた。
 中国の影響は朝鮮半島、日本にも現れた。朝鮮半島の慶州には、天文台跡が現存するものとしては東洋最古の瞻星台(せんせいだい)がつくられ、日本には553年(欽明天皇14)に百済(くだら)の暦博士が渡来して中国の暦法を伝えた。以後、19世紀末まで日本の天文学は暦の作成がもっとも重要な役割で、土御門(つちみかど)家が司天台(してんだい)という天文台を設けて観測を行った。江戸時代、1684年(貞享1)に幕府が天文台を設置し、時とともに拡張されて台員が60名を超す規模になった。各藩でも天文台をもつものがあり、薩摩(さつま)藩の天文館は今日も地名として残っている。いずれの天文台も渾天儀、子午儀を備え、より正しい暦をつくる努力を払った。
 ヨーロッパでも暦の作成が中心的に行われた。ユリウス暦やグレゴリオ暦の制定は、長年月の観測データの蓄積によってなしえたものである。しかし、実証的な観測研究はあまり行われず、固定した宗教思想にとらわれ、地球中心的な天動説に長い間支配された。近世、ルネサンスの時代を迎え、天文学にも新しい流れが加わり、コペルニクスの地動説が現れた。このことは、15世紀にスペイン、オランダ、イギリス、フランスなどが世界中を航海するようになり、航海暦作成に必要な天体観測が進められたことと深くかかわっている。
 このころ精力的に天体観測をしたのはデンマークのティコ・ブラーエである。彼は1576年に王室からベーン島に天文台を建ててもらい、月・惑星・恒星の観測を続け、より精度の高い観測を行うために、天球儀や六分儀、壁面四分儀などを作製した。それらの装置は、1608年にリッペルスハイHans Lippershey(1570―1619)によって望遠鏡が発明されるまでは最高の器械であった。ティコ・ブラーエの膨大な観測データが、弟子のケプラーによる「ケプラーの三法則」の発見へとつながった。[磯部三]

世界の天文台とその機能

天文学の発展に伴い、天文台が行う観測の内容は多様化する。ガリレイは1609年に初めて望遠鏡を天空に向け、太陽の黒点、月のクレーター、木星の衛星など多くの事実を発見した。これらの発見は、それまでの天体の位置を観測するだけの天文学から、まったく新しい天文学への一歩をしるすものであった。そして1637年のコペンハーゲン天文台、1650年ポーランドのダンツィヒ天文台、1667年パリ天文台、1670年スウェーデンのルンド天文台、1675年グリニジ天文台と、相次いで望遠鏡を備えた天文台が建てられた。
 パリ天文台の初代台長はイタリア人のカッシーニで、彼は土星の四つの衛星や土星の環(わ)にある「カッシーニの空隙(くうげき)」を発見した。グリニジ天文台はイギリス王チャールズ2世の命でつくられ、初代台長はフラムスティードである。わずか数名の台員しかいなかったが、フラムスティード星図を完成して天体の精密位置観測の基礎をつくった。子午儀、子午環による観測が中心であったが、その膨大なデータがのちにグリニジが世界の子午線の基準となる要因となった。パリ、グリニジ両天文台とも大都市の中にあって、しだいに街の光のために観測に適さなくなった。パリ天文台は19世紀終わりごろにパリ郊外ムードンに天文台を設立、グリニジ天文台も1950年前後にサセックスのハーストモンソーに移転した。両天文台とも多様な天文学に対応するために拡張され、位置観測用の望遠鏡ばかりでなく、口径100センチメートル級の望遠鏡を備えるようになった。しかし1997年グリニジ天文台は閉鎖され、望遠鏡などが移されたスペイン領カナリア諸島で観測活動が続けられるようになった。
 天体観測に望遠鏡を使うのは、光がたくさん集められるばかりでなく、角分解能のよい観測ができるためである。しかし地球には大気があり、その揺らぎのために、星像は1秒角程度に広がる。角分解能が、口径10センチメートル程度で1秒角程度であるので、位置観測にはせいぜい20センチメートルぐらいの望遠鏡が適しており、各天文台に備えてある。
 一方、より暗い天体の観測のためには、より口径の大きい望遠鏡が必要である。大型のレンズ製作が技術的に困難であった18世紀に、レンズにかえて金属の表面に銀めっきした望遠鏡が考案された。1789年F・W・ハーシェルは口径122センチメートルのものをつくり、暗い星雲の観測を行った。しかし銀めっきの金属鏡はさびやすく扱いにくいため、その後発展しなかった。
 19世紀後半に大型レンズが製作できるようになり、各国の天文台は競って大口径の屈折望遠鏡をつくるようになった。1873年アメリカ海軍天文台が65センチメートル屈折望遠鏡をつくったのをはじめ、1880年オーストリアのウィーン天文台が67センチメートル、1885年ロシアのプルコボ天文台が76センチメートル、1886年フランスのニース天文台が74センチメートル、1888年アメリカのリック天文台が90センチメートル、1897年アメリカのヤーキス天文台が101センチメートルの屈折望遠鏡をそれぞれ完成させたが、それらは完成時点で世界最大の望遠鏡を目ざしたものであった。
 ウィーン天文台は、内陸国オーストリアが、他国のように航海などの必要からではなく、帝国の力を誇示するために、1874~1880年につくったものである。そのためこの天文台は十分に活躍しなかったが、1970年ごろにウィーン郊外のショーフルに口径150センチメートル反射望遠鏡をつくり、着実な観測を行っている。
 プルコボ天文台はロシアでもっとも古い天文台で、1839年にサンクト・ペテルブルグ郊外につくられた。76センチメートル屈折望遠鏡は第二次世界大戦で破壊されたが、65センチメートルのマクストフ・カメラなどがある。またプルコボの大気差表は、今日も位置観測の補正を行う際に使われている。
 ニース天文台はパリの銀行家ビショップハイムの寄付によってつくられ、二重星の観測を行っていたが、その後パリ天文台附属となり、1960年代にニース大学附属天文台となり、現在では大型コンピュータを備え、フランスでも一、二を競う大天文台となっている。
 アメリカの天文台は19世紀中ごろまであまり活躍していない。19世紀末になり、新興国アメリカの大富豪の寄付によって、リック天文台やヤーキス天文台が建てられた。ヤーキス天文台はアメリカ東部のあまり気象条件のよくない所にあるため、発達が止まっているが、1939年テキサス州のマクドナルド天文台に口径208センチメートルの反射望遠鏡が備えられ、1959年リック天文台に305センチメートル反射望遠鏡、1968年にマクドナルド天文台に270センチメートル反射望遠鏡が完成した。現在、リック天文台はカリフォルニア大学の、マクドナルド天文台はテキサス大学の附属天文台となっている。
 1839年の写真術の発明は天文学に大きな影響を与えた。写真の露出時間を長くすることで光を蓄積できるようになり、またデータを保存しておくことが可能になった。写真術を天体観測に応用したのはハーバード大学天文台にいたことのあるドレーパーで、1840年のことである。天体観測への写真術の応用は月の撮影から始まり、オリオン星雲、恒星のスペクトルなどの写真へと拡大していった。
 ハーバード大学天文台は1839年設立のアメリカでもっとも古い天文台であるが、ピッカリング台長の時代に完成した20万個余りの恒星のスペクトル・カタログは、恒星の性質を明らかにしたHR図(Hertzsprung-Russell Diagram)の作成に大きく役だち、現在でもスペクトル分類の基礎的カタログとして使われている。
 望遠鏡に入ってくる光は一つの星からだけではない。同時に多くの星の光が入ってくる。より多くの星を1枚の写真に写す努力が払われたが、1930年、ドイツ、ハンブルク天文台のシュミットBernhard Schmidt(1879―1935)は、反射鏡の前面に特殊な補正レンズを入れることによって6度角平方を同時に写せるシュミット・カメラを完成した。
 ハンブルク郊外ベンゲドルフにあるハンブルク天文台は1914年創設で、各種望遠鏡のほかに80センチメートルのシュミット・カメラを備えている。ドイツのカール・シュワルツシルト天文台には万能型の口径200センチメートル望遠鏡があり、補正レンズを使うと世界最大のシュミット・カメラとなる。
 望遠鏡の口径の拡大は引き続き行われた。1917年アメリカのウィルソン山天文台に口径257センチメートル反射望遠鏡がつくられた。これはレンズを使った望遠鏡と異なり、ガラス面にアルミ蒸着したものである。この天文台ではハッブルが、遠い銀河ほど高速で飛び去っているという「ハッブルの法則」を発見した。1948年にはヘールの努力とカーネギー財団の寄付によりパロマ山天文台に508センチメートル望遠鏡がつくられた。(ウィルソン山天文台とパロマ山天文台をあわせてヘール天文台とよんでいた。現在は別組織)旧ソ連では1976年にクリミア天文台に近いゼレンチュクスカヤに口径600センチメートル反射望遠鏡が完成している。この望遠鏡は赤道儀式望遠鏡と異なり、経緯儀式望遠鏡である。
 日本では東京大学附属東京天文台、京都大学理学部附属花山天文台、緯度観測所があったが、1988年(昭和63)に東京天文台は東京大学から離れ、緯度観測所とともに、文部省直轄の国立天文台となった。
 国立天文台は1878年(明治11)に創設され、東京大学に属し、理科大学観象台とよんでいたが、1888年麻布(あざぶ)に移り、東京天文台とよばれるようになった。大正時代、東京市街の明かりを避けて三鷹(みたか)市に移った。1988年に国立大学共同利用機関の国立天文台となった。時刻の測定から銀河の観測まで広範囲な天文学の観測研究を行っている。出張所として1949年(昭和24)設立の乗鞍(のりくら)コロナ観測所、1960年の岡山天体物理観測所、1962年の堂平(どうだいら)観測所、1969年の野辺山太陽電波観測所、1974年の木曽(きそ)観測所のほか、1981年には野辺山宇宙電波観測所が完成、ミリ波では世界最大の45メートル望遠鏡を備えている。これらの諸施設は木曽観測所のみ東京大学の施設として残り、あとは国立天文台に移管した。なお、堂平観測所は観測環境の悪化等の理由で2000年(平成12)3月閉所し、また、乗鞍コロナ観測所も2010年太陽観測衛星「ひので」に研究を託し、閉鎖した。
 京都大学には花山天文台と飛騨(ひだ)天文台がある。飛騨天文台には65センチメートル屈折望遠鏡、60センチメートル反射望遠鏡、世界最新の性能を備えたドームレス太陽望遠鏡がある。
 緯度観測所は岩手県奥州市にあり、1988年に国立天文台水沢観測センターとなる。1899年に全世界にまたがる国際緯度観測事業のために設立され、世界6か所の緯度観測のデータを集めて整理、計算するセンターであった。VLBI(超長基線電波干渉計)による銀河の地図を作成するVERA計画を推進するため、1999年にVERA観測所が設置された。2006年に緯度観測所とVERA観測所が統合され、2009年から水沢VLBI観測所となっている。[磯部三・宮内良子]

これからの天文台

天文台の機能は時とともに多様になってきている。位置観測においては、大昔の渾天儀や四分儀を別にしても、子午儀や子午環による観測から一歩進もうとしている。人工衛星(「ヒッパルコス」)で全天20万個の星の位置を0.001秒の精度で求めている。また超長基線電波干渉計を使って1センチメートル以下の地球の動きを明らかにした。
 恒星や銀河の性質を明らかにするために、可視光ばかりでなく電波からγ線まで広い波長域での観測が行われている。可視域の観測装置はより大きくなり、観測体制も国際的になってきた。1968年設立のキットピーク国立天文台は口径381センチメートル反射望遠鏡を備えたアメリカの大学の共同利用のための天文台で、1984年にはアメリカ国立光学天文台という、より大きな組織に発展している。南アメリカのチリには同じくアメリカの大学の共同利用のセロ・トロロ天文台、ヨーロッパ各国が設立したヨーロッパ南天天文台(ESO)のラ・シーヤ天文台、カーネギー財団の設立したラス・カンパナス天文台があり、それぞれ400センチメートル、360センチメートル、254センチメートルの反射望遠鏡をもっている。ハワイのマウナ・ケア山にはハワイ大学の223センチメートル、イギリスの390センチメートル赤外線望遠鏡、アメリカ航空宇宙局の320センチメートル赤外線望遠鏡、フランス・カナダ・ハワイ共同運用の358センチメートル反射望遠鏡がある。スペイン領カナリア諸島のラ・パルマでは1983年からイギリスの254センチメートル反射望遠鏡、1987年から420センチメートル経緯儀式反射望遠鏡が稼動している。また、スペインのカラ・アルトにはドイツのマックス・プランク研究所の350センチメートル反射望遠鏡がある。1990年以降、大口径の望遠鏡をもつ天文台が増えた。
 これらの天文台はいずれも、大口径望遠鏡の機能を有効に果たせるように、気象条件がよく、しかも大気のゆらぎによって星像があまり大きくならない高山の上に建設されている。可視光のより質のよい光を得るために、1990年にはスペースシャトルで口径240センチメートル反射望遠鏡スペーステレスコープ(ハッブル宇宙望遠鏡)が打ち上げられ、高精度の画像が次々と得られている。
 1990年代になると、地上ではより良い観測条件を求めて、ハワイのマウナ・ケア山に36枚の分割鏡からなる口径10メートルのケック望遠鏡第1、2号機の2台の望遠鏡、口径8.2メートルの1枚鏡のすばる望遠鏡、口径8.1メートルの1枚鏡ジェミニ北望遠鏡が次々に完成した。南半球では南米のチリに口径8.2メートルの1枚鏡VLT(Very Large Telescope、超大型望遠鏡)が4台、口径8.1メートルのジェミニ南が2001年までに観測を始めている。2007年には、カナリア諸島のラ・パルマに36枚分割鏡口径10.4メートルのGTC(Gran Telescopio Canarias、カナリア大望遠鏡)が完成した。2000年代には、口径10メートルクラスの大型光学赤外線望遠鏡は天体の構造をより詳しく調べるために使われ、中小望遠鏡は、より多くのデータを着実に増やすための掃天観測や天体の長期にわたる時間変化の観測などに使用されるようになり、役割分担と特化が進んでいる。[磯部三・宮内良子]
『磯部三著『世界の天文台』(1983・河出書房新社) ▽アイザック・アシモフ著、小原隆博訳『天文学の歴史』(1990・福武書店) ▽吉田正太郎著『望遠鏡発達史』上下(1994・誠文堂新光社) ▽東海林郁三著『忘れられた天文台』(1995・近代文芸社) ▽沼沢茂美著『SUBARU――すばるが見た大宇宙』(1999・人類文化社、桜桃書房発売) ▽古在由秀著『天文台へ行こう』(2005・岩波書店) ▽国立天文台編『ビジュアル天文学 宇宙へのまなざし――すばる望遠鏡天体画像集』(2009・丸善出版)』

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