日本歴史地名大系 「岩鼻代官所跡」の解説 岩鼻代官所跡いわはなだいかんしよあと 群馬県:高崎市岩鼻村岩鼻代官所跡[現在地名]高崎市岩鼻町寛政五年(一七九三)二月、荒廃する農村の復興を企図して、中山道と利根川・烏(からす)川筋をおさえる岩鼻村に創設された幕府代官所。初代の代官には吉川栄左衛門と近藤和四郎が任命され、彼らは着任と同時に代官所の建築にとりかかり、七月から執務を開始した(寛政五年「御廻状写帳」山田文書)。役所の門前には郡中惣代の会所も設置され、岩鼻村役人などが常時詰めた。その支配領域は、上野国群馬・甘楽(かんら)・利根・勢多(せた)・山田・新田(につた)・佐位(さい)・緑野(みどの)の八郡にわたる五万八千七〇〇石余の幕府領・旗本領の村々であった(文化一〇年「岩鼻御陣屋始り諸事書付写」朝比名文書)。文化二年(一八〇五)六月、関東取締出役が創設されるが、彼らは岩鼻代官所を拠点にして上州の取締を行った。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by