日本大百科全書(ニッポニカ) 「岳陽楼の記」の意味・わかりやすい解説
岳陽楼の記
がくようろうのき
中国、北宋(ほくそう)の范仲淹(はんちゅうえん)が書いた散文の編名。1046年(慶暦6)の作。范仲淹と同年の進士、滕宗諒(とうそうりょう)(字(あざな)は子京(しけい))が湖南省の岳州に流され、岳陽楼を改修したとき、記念のため、政治上のつまずきから同じく左遷されていた范仲淹に依頼してできたものである。一編の大意は、古来の名勝・岳陽楼は、その時節時節によって人を愁えさせ、また娯(たの)しませもする。しかし、真に優れた人物は環境や個人のそのときどきの立場によって感情を左右されてはならず、「天下の憂いに先んじて憂え、天下の楽しみに後れて楽しむ」ものである。失意の范仲淹の政治に対する抱負をよく示し、同時に後楽園の名のおこりでもある。『文章規範』6、『古文真宝後集』所収。
[野口一雄]
『伊藤正文・一海知義編・訳『中国古典文学大系23 漢・魏・六朝・唐・宋散文選』(1970・平凡社)』