後楽園(読み)コウラクエン

デジタル大辞泉 「後楽園」の意味・読み・例文・類語

こうらく‐えん〔‐ヱン〕【後楽園】

東京都文京区にある池泉回遊式庭園。寛永6年(1629)水戸藩主徳川頼房が起工したが、焼失。その子、光圀みつくに明朝の臣朱舜水しゅしゅんすいの意見を取り入れて寛文9年(1669)ころに完成。現在その一部が残り、付近にドーム球場遊園地などがある。小石川後楽園
岡山市にある池泉回遊式庭園。藩主池田綱政により、元禄13年(1700)ころに完成。金沢兼六園、水戸の偕楽園かいらくえんとともに日本三名園の一。

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精選版 日本国語大辞典 「後楽園」の意味・読み・例文・類語

こうらく‐えん‥ヱン【後楽園】

  1. [ 一 ] 東京都文京区にある旧水戸藩江戸中屋敷の庭園。回遊式庭園。寛永六年(一六二九)藩主頼房が起工。いったん完成したが明暦の大火で全焼。のち光圀(みつくに)が本格的に工を起こし、明朝の遺臣朱舜水の意見を取り入れて、寛文九年(一六六九)ごろに完成。小石川後楽園。
  2. [ 二 ] 岡山市にある庭園。遠州流の池泉回遊式庭園。貞享三年(一六八六)藩主池田綱政がつくらせたもので、元祿一三年(一七〇〇)完成。はじめ後園(御後園)と称した。明治四年(一八七一)現名に改称。偕楽園、兼六園とともに日本三名園の一つ。

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日本歴史地名大系 「後楽園」の解説

後楽園
こうらくえん

[現在地名]岡山市後楽園

江戸時代には岡山城本丸の後ろ対岸(北対岸)に設けられていたため御後ごこう園と称していたが、明治四年(一八七一)「岳陽楼記」の「先憂後楽」の語にちなんで後楽園と称されるようになった。同一七年池田家から岡山県に譲られ、一般に公開されるようになった。国指定特別名勝

貞享三年(一六八六)文化的資質に富んでいた岡山藩主池田綱政が茶園造成を発意し、津田永忠が設計、翌四年一二月着工。御野みのはま村・上道郡国富くにとみ村のうちで地坪一万七千七三〇歩を地ならしして藪囲いをなし、元禄三年(一六九〇)に茶亭造築にかかり、同一三年一応の完成をみた。

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改訂新版 世界大百科事典 「後楽園」の意味・わかりやすい解説

後楽園 (こうらくえん)

後楽園と通称されるものには,東京都文京区後楽にある小石川後楽園と岡山市北区後楽園にある岡山後楽園の二つがあり,ともに江戸時代の典型的な大名の回遊式庭園である。その名称はともに中国宋代の范文正《岳陽楼記》の〈士当先天下之憂而憂 後天下之楽而楽〉からつけられた。

水戸藩初代の徳川頼房が徳川家光から江戸中屋敷として与えられた地に1629年(寛永6)築造を始めた。2代光圀(みつくに)もこれを継承し,中国明の遺臣朱舜水の意見を用いて中国趣味を付け加え,市民にも観覧を許可した。中央に池があり,四方に築山を配して各地の名所にちなむ堂社や亭(ちん)を建てたが,その後1702年(元禄15)将軍綱吉の生母桂昌院の来園で歩行障害となる奇岩大石を取り除いたため,景趣は著しく減じ,翌年の江戸大地震でも損傷をこうむった。明治維新で官収され,兵部省造兵司,のちに東京砲兵工厰となり陸軍省が所管,内外の招宴場に用いられたが,関東大震災で建物の大部分が焼失した。1936年東京府の管理となり,45年には戦災をこうむったが逐次整備され,52年特別史跡および特別名勝に指定された。面積は約7ha。なお,庭園の東隣にあった後楽園スタジアム(野球場)は1937年に建設されたが,87年に解体され,その隣に日本初の屋根付き球場〈東京ドーム〉が88年建設された。

1686年(貞享3)に備前岡山藩主池田綱政が家老津田左源太永忠に命じ14年の歳月をかけて完成。多くの茶亭が早期に完成し,御茶屋,御茶屋屋敷と称され,また城の北後方に位置したので御後園,農本政策を示す意味で菜園場ともいわれていた。江戸前期に諸大名が競って作庭した池泉回遊式庭園の中でも傑出しており,古くから水戸の偕楽園,金沢の兼六園とともに日本三名園の一つとされている。1871年(明治4)後楽園と改称され,84年主要部分が,1919年にはすべてが池田家から岡山県に譲り渡された。園内最大の書院鶴鳴館は1909年まで県会議事場として使用されていた。52年特別名勝。面積は約13.4ha。
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百科事典マイペディア 「後楽園」の意味・わかりやすい解説

後楽園(岡山)【こうらくえん】

岡山県岡山市後楽園にある庭園(特別名勝)。水戸の偕楽園,金沢の兼六園とともに日本三名園の一つ。1686年池田綱政のとき着工,1700年完成した面積13万4000m2の遠州流の池泉回遊式庭園で,旭川の水を引き池,築山(つきやま),茶園,亭を配する。
→関連項目岡山[県]岡山[市]回遊式庭園北[区]

後楽園(東京)【こうらくえん】

東京都文京区後楽1丁目にある江戸時代の水戸侯別邸の庭園(特別史跡・特別名勝)。小石川後楽園とも。1629年徳川頼房が創設,徳川光圀が完成。神田上水を利用した築山(つきやま)泉水庭で,関東大震災,第2次世界大戦などたびたびの災害で焼失,現在涵徳亭など一部が残存。面積6万3300m2。隣接地に遊園地,1988年完成の東京ドームがある。
→関連項目水道橋文京[区]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「後楽園」の意味・わかりやすい解説

後楽園
こうらくえん

岡山県南部,岡山市にある庭園。岡山藩の藩主池田綱政が家臣津田永忠を工事奉行として築造した大名庭園の代表例。元禄13(1700)年完成。初め茶屋屋敷,後園と称し明治4(1871)年に今日の名となった。旭川の左岸,岡山城,操山,芥子山(けしごやま)を背景とする壮大な池泉回遊式庭園(→回遊式庭園)で,面積 13万3000m2。特に全園の 5分の1の面積を野芝による芝生にしており,これは日本で最初の試みといえる。茨城県水戸市の偕楽園,石川県金沢市の兼六園とともに,日本三名園の一つとされる。国指定特別名勝。

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事典 日本の地域遺産 「後楽園」の解説

後楽園

(岡山県岡山市北区後楽園1-5)
美しき日本―いちどは訪れたい日本の観光遺産」指定の地域遺産。

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事典・日本の観光資源 「後楽園」の解説

後楽園

(岡山県岡山市)
日本の都市公園100選」指定の観光名所。

後楽園

(岡山県岡山市)
日本三名園」指定の観光名所。

出典 日外アソシエーツ「事典・日本の観光資源」事典・日本の観光資源について 情報

デジタル大辞泉プラス 「後楽園」の解説

後楽園

岡山県岡山市にある公園。日本三名園のひとつ。日本の都市公園100選に選ばれている。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「後楽園」の意味・わかりやすい解説

後楽園(小石川)
こうらくえん

小石川後楽園


後楽園(岡山)
こうらくえん

岡山後楽園

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世界大百科事典(旧版)内の後楽園の言及

【庭園】より

…このために大名たちは江戸と領国の両方に庭園をもつ邸宅を構えた。江戸につくられた庭園の中で有名な後楽園について説明しよう(図6)。この庭園は徳川光圀が明の朱舜水を招いて設計に参加させたといわれるだけあって,中国的,儒教的な趣好が濃厚である。…

※「後楽園」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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