丹後(たんご)国峰山(京都府京丹後市峰山町)周辺を領有した外様(とざま)小藩。丹後国を領した宮津城主京極高知(きょうごくたかとも)の養子高通(たかみち)は朽木宣綱(くつきのぶつな)の二男で、3000石を知行(ちぎょう)していたが、1622年(元和8)高知没後、遺領のうち1万石を分知され、1万3000石で峰山に陣屋を構えて立藩(のち1万1000石)。1665年(寛文5)高通没後、2代高供(たかとも)、3代高明と続き、7代高備(たかよし)は幕府の一番頭や若年寄となり、文政(ぶんせい)(1818~30)ごろ藩校敬業(けいぎょう)堂を開設。11代高富(たかとみ)は若年寄に就任、12代高陳(たかのぶ)のとき廃藩置県となり、峰山県、豊岡(とよおか)県を経て京都府に編入された。
[井上正一]
…22年(元和8)高知の死後,丹後は宮津(7万8175石,長子高広),田辺(3万5000石,次子高三),峰山(1万石,養子高通)と3藩に分けられた。年貢高については,宮津藩は延宝年間(1673‐81)に平均3割高の延高をしたが,田辺・峰山藩は近世を通じて大きな石高の変動はなかった。宮津藩領は京極氏以降,天領―永井氏―天領―阿部氏―奥平氏―青山氏と支配が変遷したが,1759年(宝暦9)遠江の浜松より本庄氏が入部し,以来7代相ついで廃藩となった。…
…中世,小西川流域には吉原荘があり,吉原山には丹後守護一色氏の被官吉原氏が築いたという嶺山(みねやま)城(吉原山城)があった。1622年(元和8)京極高知の子高通が峰山に分封され,以後,峰山藩(1万石)の陣屋町として発展した。18世紀初めごろから縮緬(ちりめん)機業が盛んになり,与謝郡加悦谷(かやだに)とともに丹後縮緬の創業地とされる。…
※「峰山藩」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
宇宙事業会社スペースワンが開発した小型ロケット。固体燃料の3段式で、宇宙航空研究開発機構(JAXA)が開発を進めるイプシロンSよりもさらに小さい。スペースワンは契約から打ち上げまでの期間で世界最短を...
12/17 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
11/21 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
10/29 小学館の図鑑NEO[新版]動物を追加
10/22 デジタル大辞泉を更新
10/22 デジタル大辞泉プラスを更新