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島崎柳塢 しまざき りゅうう

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美術人名辞典の解説

島崎柳塢

日本画家。東京生。名は又輔、通称は友輔、字は子文、黒水漁史・湘々亭・栩々山人と号する。初め桜井謙吉に洋画を学ぶが、日本画に転じ、松本楓湖川端玉章らに南北合派を学ぶ。特に美人画を能くした。川端画学校教授。昭和13年(1938)歿、73才。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

島崎柳塢 しまざき-りゅうう

1865-1937 明治-昭和時代前期の日本画家。
慶応元年5月4日生まれ。桜井謙吉に洋画をまなぶが,のち日本画に転向。松本楓湖(ふうこ),川端玉章に師事し,美人画を得意とする。川端画学校の教授,日本美術協会理事をつとめた。昭和12年1月21日死去。73歳。江戸出身。名は友輔。字(あざな)は子文。別号に栩々亭山人,墨水漁夫。

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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

世界大百科事典内の島崎柳塢の言及

【明治・大正時代美術】より

…しかし日本美術院の新美術運動は京都の日本画家に大きな刺激を与え,菊池芳文(1862‐1918),竹内栖鳳,山元春挙(1871‐1933)らも西洋画の写生をとり入れ,日本美術院に呼応して新機運の打開に努めることとなる。また結城素明(1875‐1957),平福百穂,島崎柳塢(りゆうう)(1856‐1938)らは東京で无声会(むせいかい)を結成し(1900),西洋画の写生を研究して自然主義的な新しい日本画をもたらすことになる。
[明治美術会と白馬会]
 明治10年代の後半,洋画家たちは一時息をひそめたが,この間にヨーロッパに渡った山本芳翠(フランス),原田直次郎(ドイツ),松岡寿(イタリア)らが帰国し,洋画界の新しい活動力となる。…

※「島崎柳塢」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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