友禅(読み)ユウゼン

デジタル大辞泉 「友禅」の意味・読み・例文・類語

ゆうぜん〔イウゼン〕【友禅】

友禅染」の略。

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

日本大百科全書(ニッポニカ) 「友禅」の意味・わかりやすい解説

友禅
ゆうぜん

友禅染めの略。江戸時代に現れた多彩な模様染め。名称が示すように、元禄(げんろく)年間(1688~1704)ごろ京都にいた絵師宮崎友禅斎によって創始されたと伝えられている。しかし、友禅斎は生没年も判然としておらず、したがって友禅染めの創始に関する事跡もはっきりしたことはわからない。文献に現れたところでは、1688年(元禄1)に『友禅ひながた』が刊行されており、また資料のうえでは、東京国立博物館にある紫式部友禅染掛幅に享保(きょうほう)5年(1720)の銘があり、年代のはっきりしたものとして注目されるが、現在のところもっとも古い確かな資料としては、1669年(寛文9)に生まれた伊達(だて)綱村の産着(うぶぎ)がある。このような資料によって、友禅染めというものは、17世紀なかばから後半にかけて、それまでにあった小紋系の型染めにおける糊防染(のりぼうせん)・引き染めの技術と、辻(つじ)が花染めの線描(か)き・隈取(くまどり)・色差しなどの技術が一つになって発達してきたもので、友禅斎はおそらくその完成期ごろに現れた優れた作家か意匠家(デザイナー)ではなかったかと思われる。

 友禅染めの技術は、現在においては、長い間に発達した付帯的な技術や、材料の変化に伴う新しい技術の開発などによって、多種多様なものが行われているが、その根本となるのは、まず布地の上へ糊(のり)(糯米(もちごめ)を主剤とするものや小麦粉を用いる一珍(いっちん)糊など)を用いて模様の輪郭を描くことである。これには粘り気の強い糊を細い棒の先につけて、これを伸ばしながら置いていく楊枝(ようじ)糊の技法と、先端に細い穴のあいた口金のついた渋引きの紙筒へ糊を入れ、これを指頭で圧しながら線を描いていく筒糊(つつのり)の技法とがあるが、前者は現在は行われていない。糊置きが終わると模様の部分に色差しが行われる。現在は化学染料を主とするが、天然染料の場合は顔料を用いたり、また染料を塗り染めに適するように顔料化したもの(藍棒(あいぼう)や堅紅(かたべに)など)が多く用いられた。色を定着させるためには、現在は「蒸し」、昔は豆汁(ごじる)が用いられた。色差しが終わると、その上を伏せ糊で厚く覆って地染めが行われるが、これは刷毛(はけ)を用いた引き染めである。地染めの終わったものは、よく乾燥したあと水洗いをして、糊を洗い落とすと、細い糸目の線で縁どられた多彩な模様が現れる。

 以上が友禅染めのもっとも基本的な技法であるが、その特徴とするところは手描きであることと、染色が従来の浴染(よくせん)から塗り染めになったこと(部分的に浴染が用いられることはある)で、これによって、ぼかしや隈取を加えた多彩で絵画的な小袖(こそで)模様を、在来刺しゅうや、辻が花における絞り、描き絵などに比べて非常に容易に、しかも効果的に表すことができるようになった点である。確かに日本の染色工芸史のうえでの画期的な技術の進歩であったといってよいであろう。

 友禅染めが、その初期の時代から発祥の地である京都を中心として、いわゆる賀茂(かも)川染めとしてもっとも盛んに行われたことはもちろんだが、このほかに俗に加賀友禅といわれるスタイルのものがある。これは、技術上の違いではなく、主として配色や模様構成のうえでの様式の相違というべきであろう。紅や紫、緑、藍などの華やかな色使いにぼかしを用いたそのスタイルには、安土(あづち)桃山時代(16世紀末)あたりの縫箔(ぬいはく)を思わせるものがあり、友禅染めとしての古様を伝えた感がある。これが中央を離れた加賀国(石川県)の地に伝統的に伝わったということはうなずけるが、このスタイルの友禅染めがすべて加賀だけで行われ、その意味での加賀友禅ということには多分に疑問がある。

 多彩を主とする友禅染めが、明治以後の化学染料によって、それまでの染料を顔料化して用いるという点の困難さが除かれたこと、つまり色づくりが容易になった点で、さらに一つの進展をみせた。1877年(明治10)ごろ染料に糊を加えた写し糊の技術が発明されるに及んで、型に直接捺染(なっせん)する型友禅の技法が開発され、今日では手描きの友禅と並んで大衆的な友禅染めとして広く行われている。

 そのほか、さまざまな新しい技法、たとえば、米糊のかわりに生ゴムを用いたり、または蝋(ろう)を併用したり、日本独特の染法である友禅染めの伝統は、今後ますます多様性を加えながら、時代とともに生きていくであろう。

[山辺知行]


出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

百科事典マイペディア 「友禅」の意味・わかりやすい解説

友禅【ゆうぜん】

糊(のり)防染による優美で多彩な文様染。江戸中期に京都の扇絵師宮崎友禅斎が創始。手描友禅はもち米粉とぬかで作った糊で図案の線を描き,色さし,伏せ糊,地染など約26工程を経て染める。京都のものを京友禅と称するのに対して金沢のものを加賀友禅といい,はなやかな配色とぼかしの技法に特色がある。型友禅は明治中期に広瀬治助が考案したもので型紙を用いて捺染(なっせん)する。機械によるプリントの友禅もある。縮緬(ちりめん),絽(ろ),羽二重などに染めて振袖(ふりそで),訪問着などにする。
→関連項目型紙京都[市]古代裂摺箔染物ツユクサ捺染糊染

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

世界大百科事典 第2版 「友禅」の意味・わかりやすい解説

ゆうぜん【友禅】

日本を代表する文様染。江戸中期に宮崎友禅によって完成されたと考えられている。〈友禅染〉の語は1687年(貞享4)発行の衣装雛形(ひながた)本《源氏ひなかた》にみえる。また〈ゆうぜん扇〉の名も同時期刊の西鶴《好色一代男》などにみえ,これは扇絵をよくし,のちに小袖図案も手がけた宮崎友禅の活躍期と重なっている。17世紀後半期にこの染が行われ始めると,当時二十数種にのぼった各種の染がすっかり姿を消し,世の上下の女性にもてはやされたという記録から,友禅染の大流行ぶりがうかがわれる。

出典 株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「友禅」の意味・わかりやすい解説

友禅
ゆうぜん

江戸時代,元禄期 (1688~1704) に京都で活躍した絵師。友禅染の創始者といわれる。その姓氏は明らかではないが一説に宮崎氏といわれ,本名は日置清親,友禅はその号。光琳風の絵をよくし,扇工や染師として知られ,元禄奢侈文化の影響下で着物に自由闊達な構図を染め上げたといわれている。友禅模様を集めたものに『友禅ひいながた』 (4巻,1688) がある。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「友禅」の解説

友禅 ゆうぜん

宮崎友禅(みやざき-ゆうぜん)

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

旺文社日本史事典 三訂版 「友禅」の解説

友禅
ゆうぜん

宮崎友禅

出典 旺文社日本史事典 三訂版旺文社日本史事典 三訂版について 情報

動植物名よみかた辞典 普及版 「友禅」の解説

友禅 (ユウゼン)

動物。チョウチョウウオ科の海水魚

出典 日外アソシエーツ「動植物名よみかた辞典 普及版」動植物名よみかた辞典 普及版について 情報

今日のキーワード

少子化問題

少子化とは、出生率の低下に伴って、将来の人口が長期的に減少する現象をさす。日本の出生率は、第二次世界大戦後、継続的に低下し、すでに先進国のうちでも低い水準となっている。出生率の低下は、直接には人々の意...

少子化問題の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android